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Soap strange journey/石けん持って、旅しよ

固形石鹸メーカー・・・いや、石けん屋としてのフェニックス。
言ってはみたものの、これは一体どう言う意味なんやろうか。僕自身もわからんかった。
カタチも色も匂いもようわからん答えを探しているうちに、いつの間にかそれはひとつの、大きな、そして奇妙な旅となっていた。
これは、今も続いているその旅の道のりや出会い、そのとき生まれた泡のようなナニカをあるときは今の姿であるフェニックス、またあるときはそのオリジンである皆様石鹸として言葉や文章にしてみた、まあ旅の感想文みたいなもんです。

銭湯、その深さ
〜風呂屋と呼ぼう〜
 皆様石鹸の風呂桶を一目みたい、そんなちいさなきっかけで訪れた高丸温泉やけど、久しぶりに訪れた街のお風呂屋さん、そして女将さんや地元のお客さんたちが醸し出していたぽかぽかしたもんが帰ったあとも僕の中でずっと残っていた。

 数日後、再び高丸温泉を訪ねた。風呂桶のお礼ももちろんあったが、何よりまたあのお湯に浸かりたい、女将さんと話したい、んであのぽかぽかをまた感じたいという自然な欲求がイチバンやった。
「こんにちは、こないだはありがとうございました。またお風呂入りに寄してもらいました」
「ああ、おおきに。ゆっくり浸かっていってくださいな」
まだ2回目やのにもうなんかじわりと馴染んだ感じがした。
お店を開ける少し前にお邪魔して、前回お願いしていたお風呂や脱衣場の写真を撮らせてもらい、少し話を聴かせてもらった。

 高丸温泉は亡くなられたご主人が開業され、ある時期までは女将さんも三宮の方で別の商売をされていたらしく、僕にしてくれはった丁寧な対応やお話の楽しさにナットクやった。
現在は一部を除いて女将さんが開店準備などをされているとのことだった。お風呂掃除やボイラーの調整など、体を動かす仕事が多いのでこの先いつまで続けることができるか・・・。
ただ、
「少なくなってしもたけどやっぱりウチのお風呂必要としてくれてるお客さんいとうからねえ」
そうこうしている間に、常連さん達が開店時間きっかりに入ってきはった。建物の写真撮ってる時にお店の玄関シャッターの前で数人待ってはる姿をみていたので、女将さんの言葉の何よりの証拠やなあ、と思った。

 実は今回の訪湯にはもう一つ目的があって、それはある方とお会いするためやった。「旅先銭湯」などの書籍出版やいろんな活動を通じて風呂屋の魅力や楽しみ方、そして現実を発信されている編集者の松本さん。前回、女将さんが僕らの活動を聞いて、「あの人やったらそう言う話聞いてくれはるんちゃうか」とその場でガラケーを取り出して電話してくれたのだ。

待ち合わせの時間にその方は現れた。
なるほど、風呂の似合う人やな・・・松本さんにお会いした時、最初にそう感じた。脱衣所での名刺交換やったけど、その空間に奇妙な落ち着きがあった。
僕はあいさつもそこそこに、高丸温泉の初訪湯のいきさつや皆様石鹸の活動を話し、僕自身の中に生まれた興味をいろいろ質問させてもらった。
そこで聴かせてもらったのは、風呂屋という一つの、大きな、そして失われつつある文化の話、僕がそれまで意識も想像もしていなかった話やった。その話を僕なりに噛み砕いてみた。

 風呂のない家が今よりももっと普通にあった時代、街の風呂屋は特別なものではなく生活の一部に当たり前に溶け込んでいた。まさに今、僕らが家で風呂に入るのと同じ呼吸で風呂屋に行くのだ。この感覚、わかるやろうか・・・?
当然そこには地域の暮らしや住んでいる人々の毎日が行き交っていた。
それは同時に風呂屋とそれを営む人々が、街という生き物にとってなくてはならない器官であったということだ。地元のご家族がやってはるところがほとんど(というより企業経営の街の風呂屋って、特殊な例を除いてみたことない)なのも、そういった背景があるんかなあ・・・。

しかし、そのほとんどは変わってしまっている。

 まず、わざわざ入りに行かなくてもいいものになってしまった。それを如実に物語っているのが高丸温泉含めた阪神地区の風呂屋の現状である。そう、阪神淡路大震災。その復興をきっかけにどの家庭にもお風呂があるようになった。単純に風呂屋に行かなくても風呂に入れるようになってしまったのである。これはこの地区の場合こういった辛い、大きなきっかけがあったが、今や新しい住宅では風呂やシャワーがあるのが当たり前になっていることから、現在では日本全国でほぼ同じことになってると思う。
利用する人が絶対的に少なくなったことで生業として続けにくくなってしまった。昭和の時代に建てられていることが多い建物や設備の維持のための資金を賄える商売でなくなってきてしまった。
風呂屋の仕事は一日がかりの肉体重労働だ。経営者の高齢化なども進む中で、このように小さくなってきている商売を続けて継いでいく世代や人も少なくなってしまい、そもそも誰が風呂屋やるの?やっていけるの?という漠然とした不安が時の移り変わりと一緒にやってきた。
そして、人同士のつながり方が変わってしまった。おんなじ地域で暮らしている人々が、おんなじようなライフサイクルで一つの空間を共有する。少し前まではそういったことが街のいろいろなところで当たり前のようにあり、風呂屋もその中の一つやった。

わかるやろうか?
僕ら、そういう場所が別になくても生きていけるようになってしまった、あるいは代わりになる別の場所を見つけてしまった。僕が高丸温泉にきてから感じていたのは、そんな中かろうじて残っている暖かさやったんや・・・

なんでこんな言い方をしたかというと、直接的な理由は違うけど、石けんとすごく似通った境遇で、前から感じていた同じ寂しさのようなもの感じ取ったから。風呂屋や石けんに触れていた人からは忘れられていき、風呂屋も石鹸も触れたことがない人がどんどん増えてくる。

・・・話を聞き、僕らのことを話しながらつらつらとこんなことを考えていた。すると松本さんが最近取り組んでいる活動の話をしてくれた。繋がりのあるあちこちの風呂屋に行き、有志の方々と一緒にタイルとタイルの間の掃除「目地詰め」をされているらしい。
その名も「県境なき目地団」。

「めちゃめちゃ手間と時間がかかるんで風呂屋はやろうと思ってもなかなかできない、やから自分達が申し出てやるんです、半ば押しかけて笑」松本さん。

「別に頼んでへんのになあ笑」と嬉しそうに女将さん。

大切に思っている人間としてやりたいことをやる。

・・・なるほど、すこし分かりかけてきたような気がする。僕らにもできることがあるかもしれん。
「女将さん、いろいろしていただいたお礼にこれよかったら使ってください。牛。来年の干支の石けんです。」
「ええの?かわいらしいなあ、昔ようこんなんあったねえ。ありがとう、常連さんにお正月配らせてもらいます」女将さん。
女将さんが常連さんに手渡してる光景が目に浮かぶ。いつもの生活のいつものひとときにふんわり僕らの石けんの香りがただよう。

「じゃあ続きは風呂入りながら話しましょか」
僕と松本さんは開店早々のええ温度のお湯にとっぷり浸かりながら取り止めのない話をした。
「なんか僕らの石けんで役に立てることがあったら声かけてください、また僕も風呂屋のこと知りたいです」
「今残っている風呂屋の中で、後継者が見つかったり立地環境が良かったり、当面は続けていけそうなところもある。でもそれは運のいいところで、そうじゃない風呂屋の方が圧倒的に多くて、この高丸もそう。我々はそういう風呂屋にできることをしてるから、皆様石鹸(松本さんは最初僕らのことをそう呼んでくれていた)にとっては商売にならんかもしれん。それでもよかったらこれからも情報交換しましょう」
ぽかぽかしたもんと一緒に今日もまた新しいつながりができた。

つなぎは皆様石鹸、アクセントに干支石鹸、シメはもちろんオロナ○ンC。
今回はこれでおしまい。

ああ、いろんな呼び方があっていいけど、風呂屋。松本さんが話の中でずっとそう呼んではったけど、これが1番しっくりくる気がする。僕も石けん屋。なんか急に親戚みたいな感じがしてきた。
これからは親しみをこめて、風呂屋と呼ぼう。この感じ、わかるやろうか?

次のおはなし
ここから、僕はこの不思議な縁で思いもよらなかった場所に足を運ぶことに。
石けんと風呂桶片手にあちこち。海を越えたどり着いた次の舞台は淡路島:岩屋。皆様石鹸と僕は何かに導かれるように次の足がかりを見つけていった。
次回、「風呂屋のあれは誰がどーする?」お楽しみに。



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