yuta0831

前アカウントyuta_amy_guitar 神奈川県横浜市出身 現在群馬県にてバンド活…

yuta0831

前アカウントyuta_amy_guitar 神奈川県横浜市出身 現在群馬県にてバンド活動中 「amy」、「THE STROKES」 ギター担当

最近の記事

13年目の春に

東日本大震災が発生して13年 あのとき生まれた子どもたちは13歳になる 今はどうしてるだろう 力強く生きているのだと思う 3月11日に福島県にいないのは初めてだった 震災が起きて、誰かが一人で泣かないように 2012年の3月11日に 福島県で黙祷を捧げるとき 隣りにいたおじいさんが僕にこう言った 「震災でおばあさんを亡くしてしまった。この日くらいは一人でいたくない」 そう言われてから3月11日は福島県で過ごすことが当たり前になって これからの人生、一生そ

    • チャリティーの本質について

      能登半島地震直後、医療支援のため現地入りした そこでの活動内容は割愛させて頂きますが 私個人として感じたことを残しておこうかと 石川県は私自身とても好きな地域で そもそも北陸地方の気候や食事はもちろん その地域独特の「匂い」みたいなものがすごく好きで 個人的には何度も足を運びたくなる理由で。 その金沢駅にほど近い石川県庁へ医療班として緊急車両で向かう途中 普段は観光客で溢れかえっているはずの駅前も 魚市場の周辺もゴーストタウンの様な装いで 誰一人と歩いてい

      • 近況を

        年始の能登半島地震 家族と過ごす正月を切り上げ 僕は日本DMAT隊員として被災地へ医療支援を行う準備を行っていた 東日本大震災が起こってしまって13年目の春が来る あの時、医療従事者として何も出来なかった自分が悔しくて ひたすら自分の出来ることを探した 募金、ボランティア、旅行、クラウドファンディング、、、、、 そんな中で知ったこと パン屋さんは美味しいパンを クリーニング屋さんはキレイなシャツを ミュージシャンは音楽を 写真家は事実を映す写真を 医療

        • 12年10ヶ月月命日に

          毎年、新年を迎えると胸の奥がきゅっと締め付けられる 僕の一年の始まりが3月11日になってから12年 東北への思いは変わっていない 忘れていない 2024年1月1日 新型のウイルスによって生活が変化した数年を 払拭できるかのように 出来なかったことを取り返すように騒ぐ正月 北陸で大きな震災が起きた 家族と過ごす大切な時間 僕のスマートフォンに厚生労働省から1通のメールが届く 「日本DMAT隊参集要請」 大切な家族と過ごす正月は終わり 僕は能登半島へ向か

        13年目の春に

          大阪府医療支援④

          約1年前に突然の国からの要請で 当時、医療崩壊と言われた地域の重症コロナ患者さんの対応の支援に参加した その時のことを書き残しておきます タクシーの運転手さんのご厚意で 料金を払わずに降り立った目の前のホテル 時間は夕方も交代間際の17時過ぎ 「ここで2週間生活か。」 と不安と恐怖が襲いかかって辺りを見渡す そこは駅前という事もあり時間的にも帰宅途中の人混み と思ったのも束の間 居酒屋や焼き肉屋が犇めく高架下は たくさんの人達で溢れかえっていた 「僕は

          大阪府医療支援④

          秋の訪れを

          休日、いつもより早く目が覚めて 庭先にある柿の木を見上げる まだまだ食べられない緑色のその実を眺めると いつもの湿気を纏ったそよ風が ほんの少しだけ軽くなった様な 秋の訪れを感じさせる 木陰から射し込む朝日は それでもまだギラギラしていて 「まだバトンは渡さない」って 必死に握りしめている夏を微笑ましく思って 1日の始まりの合図を 今となっては危機感の薄れた新型のウイルス 感染者数は数年前の当初と比較すると比べものにならない ウイルスの感染が始まった

          秋の訪れを

          ネモフィラ

          写真は今年の5月 茨城県、ひたち海浜公園のネモフィラの様子 こうした美しい自然の景色を眺めると 心が浄化されるような やっと深呼吸をして吐ききったような すごく肩が足が軽くなる その反対側で 僕達は文明や技術、化学の進歩で 日々利便性の伸びしろを伸ばし続けてるけど 「やっぱりこういうものには勝てない」 そりゃそうだ 僕達は勝てるわけない こんな美しい景色は 自然にしか作れないだろうから

          ネモフィラ

          空蝉

          私の家族には今年で4歳になる大切な愛犬がいます 彼女はいわゆる「鼻ぺちゃ」と言われる犬種で 今の気候はとても苦手です そんな彼女は外で遊ぶことが大好きで 家の中にいても日差しの入る時間帯には 日向を探してそこでお昼寝をします 先日、少しだけ早起きをした休日 思い立って避暑地へ早朝散歩へ 愛犬のことはまた書くとして 軽井沢の早朝は日差しは少しだけギラギラしても とても涼しく、彼女にとってはドライブとお散歩と ちょっとワクワクする休日だったいいなと 「日陰

          the morning page

          昨今の世界情勢に慌ただしく追われる毎日 生活スタイルが変化して数年が経って 何となく慣れてしまった今日も 天気予報と同じ様に感染者数を眺める 「多い、少ない」の感覚すら鈍くなって 変化したことを慣れたり鈍くなる性質を いわゆる「風化」と僕達は呼んでいるんだろう 習慣になっているランニングの道中 ラジオから「morning page」について知る 人との交流が少なくなったり 大好きなバンドも活動出来なくなったり アウトプットが減ってしまった環境に 少しだ

          the morning page

          大阪府医療支援③

          新大阪駅に到着 美味しそうな食べ物が並ぶ 数年前、横浜でお世話になった大好きな先輩に再会するために 大阪旅行をした時 551の肉まんを買い与えてもらって 「新大阪に着いたらとりあえずこれ食っとけ。」 そう言われたのを思い出して 買ってみようかと思った矢先 僕の住む田舎とは桁違いの人混み そもそも人混みを避けて生活して数年 免疫の衰えを痛感して逃げるようにタクシーへ乗り込む 目的地を伝える前に窓を開けた自分に 少しだけまた怖くなって 大阪府に準備して頂

          大阪府医療支援③

          大阪府医療支援②

          約2年ぶりに乗り込んだ新幹線 向かうは新大阪 仕事がら、と言うかやっぱり公共交通機関のリスクを考えると 敬遠していた時分 最後に旅行をしたのは何時だろう? そうやって目的地が近くなるにつれて 主要都市の駅で乗車する人々の数に ただただ圧倒された 中にはマスクをしていない人 新幹線の中でお弁当を食べている人 そんな人たちの姿を怪訝な目で見ている自分が怖くなった 神奈川県に住んでいる頃 新横浜駅が近かったこともあって 旅行となれば新幹線を利用すること

          大阪府医療支援②

          大阪府医療支援①

          テレビのニュース 「コロナウイルス第4波」 「医療崩壊」 「変異株」 そんな報道が多くなった今年の5月 自分達の地域も同じ様に感染者が大爆発して 僕の所属する高度救命救急センター集中治療室も 新型コロナウイルスの重症者対応に毎日奮闘していた そんな最中 ゴールデンウィークも終わって 帰省やレジャーに影響された感染者数の増加に恐怖を感じている頃 上司より声をかけられた 「6月から大阪の重症コロナ患者の医療支援に行ってほしい」 そう告げられた 目的は「

          大阪府医療支援①

          近況を

          皆さま、ご無事でしょうか。 世界恐慌の様な毎日 相変わらずゴールが見えませんね 僕は高度救命救急センターの集中治療室で相変わらず戦っております いつまで頑張れば良いのか分からない現状も それでも頑張ってる仲間たちを僕は誇りに感じていて 日々の感染者に反比例して落ちそうになるギアを 無理矢理にでも上げ続けてやっております 「第4波」と言われた時期 僕は国からの要請で大阪府の逼迫した病院へ 医療支援に行ってきた 大変なのは自分達だけだと思っていた矢先 想像

          近況を

          ガーベラの花束を

          3月11日が近付くと思い出したかの様に目にする報道 その日が過ぎると驚くべきスピードで消えていく話題 そうやって11年目の春を向かえる 10年間続けてきたこと やっぱり風化は存在して仕方ないことだと分かってる ただ一人でも忘れてないよって伝えたくて 誰かが一人で泣かないように 毎年3月11日だけは何があっても福島県へ向う いつものお花屋さんの店主 数年前までは「何用の花束ですか?」 僕は「贈り物です。ガーベラの花で花束をお願いします。」 それがいつの頃か

          ガーベラの花束を

          11年目の朝に

          忘れてないよって 一人じゃないよって 今日と言うこの日だけは 誰も一人にならないように 世界中の人が忘れちゃったとしても 僕だけは絶対忘れないよって また来年も再来年も 10年後も50年後も 僕は福島県の人たちに 鼻で笑われるまで 絶対に続けようって 自分に約束をする また1年後 一緒に手を合わせさせて下さい

          11年目の朝に

          10年目の春に

          大変ご無沙汰しております 高度救命救急センター、ICUにて 世界中を狂わせている事柄に対し 連日奮闘しております (それに関しては後日書いてみたいと思います) 「あれから10年」 「10年という節目」 「10年経ってみてどうですか」 何かを思い出したかの様な、そんな言葉たちが目につく今日この頃 何かのアニバーサリーの様な物言いに 「10年経ったからなんなんだ?」 「11年経ったって30年経ったって忘れないぞ?」 あれから何度も何度も東北へ足を運んだ

          10年目の春に