カッコつけて「サヨナラだけが人生だ」と言いたい人生。


トモダチってやつ。

唐突に思ったんですね。

私のともだち。

親族とも、勤める会社もまったく関係無い、
大切なともだち。

私が明日死んだとしても、彼は私に何かあったか知らず、突然に音信不通になった事を不思議に思いつつ、そのあと淡々と過ごしていくのだろう。

別にそれは良い。
逆の方が辛い。

彼が死んだとしても、私は彼に何があったか知ることはできない。

ってことが、唐突に悲しくなった。

SNSで知り合った人って、そのへんどうなんだろう。

別に関係者を紹介して欲しいという事はない。
相手が私を「その程度」のともだちだと思っている事はない。(と思う。)

だって本人が居れば良いじゃん。
他に要らないじゃん。
学校のともだちとか、会社の同僚とかも、そんな感じじゃん。

なーんて。

その通りなのだけれど、まるで負け惜しみの様な事を呟いてしまう。

サヨナラだけが人生だ。

かっこよくそんな風に言うことができれば良いけど、
そうはできないんですよ。

別れの前にお酒を注がせてもらい、
「じゃあね。バイバイ。」
と、言えるのはなんて有り難いことなんだろう。

きっと、私と彼はそんなことはできない。

唐突な別れになるはず。

死ぬなんて事ではなくても、突然嫌われて音信不通になったりしたら。

言い過ぎたか?怒らせちゃったかな…それとも、もしかして死んだのか?
どこかで健康に過ごしてくれさえすれば良いけれど...と、安否を思う。

そんな日が来るかもしれないと思うと、この関係はなんて儚いのだろう。

望んでそんな軽い関係と距離感でいるのだけれど、やっぱりしんどい。

だからって、いずれ来るであろうその瞬間のためにわざわざ家族や会社の同僚を紹介して欲しいのではない。
むしろ紹介しないで欲しい。

彼以外の彼の情報は欲しくない。

こんなことを思う私はけっこう病んでいるのかもしれない。

気楽な関係でありたいのであれば、
そんな我が儘通りません。
というのは分かるけど。

通るか通らないは別の話で、やっぱりそう思う。

仲良くしている会社の同僚だって同じでしょう。

お歳暮や年賀状の文化が無くなってきて、ともだちの親族との関係はどんどん無くなって、仲良くしていた同僚が会社を辞めた後に死んでも、誰も知らないんだよ。

関係性は親密であっても、公の関係が薄くなって、簡単に行方知れずになってしまう。

ずいぶん危うい関係だと思える。

調べてみると、そんな時に使えるサービスやアプリは存在しているみたい。

やっぱみんな不安なんじゃん。

安心して今日が終わった。

何も解決はしていない。


コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 

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