見出し画像

一人の男と無数の男

 夏にしては少し涼しい朝、ニュース番組を流しながら牛乳をたっぷり入れたシリアルを食べていると、ふと涙がとめどなく流れ出した。職場の上司の脇が臭い、とにかくその事実がつらくて仕事のことを考えるだけでも嫌悪感で震えてきてしまう。母親が心配そうに私に事情を尋ねるが、ただむせび泣き「臭いのよ」と言うことしかできないのである。上司には非常に申し訳ないが、人格がどうであろうが、仕事ができようが、臭いものは臭いので、如何に彼が良い人間であろうとも私は彼のことを思うと、鼻にあの臭いが蘇るようで頭が痛くなり、自然涙が流れてしまうのだ。それだけで彼という人間的価値が否定されても仕方がないというようにどうしても思えてしまうのである。自分が如何に拙陋で偏見に流される人間であるかというのを痛感させられるが、生理的な嫌悪というのはコントロールが難しいのも事実である。どうあっても彼は私の中で悪者であり嫌悪の対象であった。

 残念ながら現代社会では泣いたところで仕事を休んで良いわけにはならない、私は職場である本屋へと向かい、ロッカーでエプロンに着替えて担当売り場へと向かう。上司は本社会議でまだ売り場へと来ていないようだ。私は検品倉庫へ行き、他部署の仲の良い同僚たちと談笑しながら朝の入荷分を台車へ乗せて運ぶ。本に囲まれる職場というのは幸福だ。できることなら図書館で様々な物語や思想に囲まれて死にたいと思っていた私だが、売れるか定かでない貴重な本も置いてあるようなこういう大きな書店で死ぬのも悪くはないと思う。

 今日は客入りは悪くなく、多くのお客から話しかけられる。だいたいはこの本はどこにあるかという内容だが、取り寄せの希望や、中にはこの作家はどんな本を出しているかなんて聞かれることもある。私は本は好きだが、詳しいわけではないので一生懸命インターネットで検索などして説明を試みる。

 本屋で働いていると、人は物語と実用性のどちらかを求めることが多いということがわかった。しかしエッセイか何かで読んだのだと思うが、ウンベルト・エーコは嘘の歴史や今では間違った科学の論考などを愛でていたというが、私もそういう書物そのものが何か空想を刺激する機能を備えたものとして存在していることに愛おしさを感じていた。

 私は昼休憩の前の最後の接客をしていた。眼鏡をかけた清潔感のある若い痩身の男で、エピステーメーの巻末広告でツヴェタン・トドロフの『幻想文学―構造と機能』を探しているという。いつの時代の広告を参考にやってきているのだと思ったが、兎も角、対象となる本は絶版状態にあるので、その後新訳され改題されたものである『幻想文学論序説』を案内する。

 眼鏡の男性は満足そうにそれを矯めつ眇めつ眺めていたが、それを棚に戻すと次の瞬間私に何かを擦り付けてきた。男は脱兎の如く逃げ去り、何をされたかよくわからない私はぽかんとその場に佇んでいたのだが、同僚が悲鳴をあげて私を指差すのである。何ごとかと思い見ると、肩から背中にかけて多量の糞が塗られていた。それが動物の糞であるか人の糞であるかは判然としないが、肩に付いたものが糞を認識すると私は間の抜けたように「あ」と言って途端に嘔吐していた。売り物に吐瀉物が飛ばないように体制を低くするのは忘れずに。

 私は着替えて休憩室にいた。暫く泣いていたが、驚きや恐怖の感情が薄まるとこんどは怒りがその大部分を占めてきたようだった。髪の毛はスッと逆立ち、目付き鋭く虚空を睨み付け、次に合うことがあればきっと復讐してやろうなどと思うのである。先程出勤してきた上司は話を聞いて私に対して行われた非人道的な行いに我がことのように怒っている。私に味方をしてくれているようでそれが心強く非常にありがたかったが、この狭い部屋で彼と一緒にいることには残念ながら我慢がならなかった。

 結局その日はゆっくり休みなさいということになり、私は仕事を早退して特に予定もなく街に放り出された格好となった。街の隅々まで響くような車や会話、足音、店の入口から漏れ聞こえる音楽などの喧騒に洗われながら、私はあてどもなく歩いて回った。仕事のあとだと本屋に行くような気分にはなれず、服を見て楽しめる気もしないし、食事をするような精神状態ではなかったため、ただ歩くことしかできなかったのである。両親にこういう話をして心配をかけるのも嫌だったのでまっすぐ家に帰ることもできなかった。

 翌日は過ぎたことを気にすることをやめて、通常通り出勤することにした。上司や同僚たちは、怖かったらまだ休んでいても良いと言ってくれたが、私はそんなに神経質な方でもなく、どちらかと言うとあっけらかんとした性格であるため、一晩寝ると昨日のこともなんだか笑い話のように思えて来るのであった。

 さて電車である。電車には痴漢がつきものであるというのは周知のことと思う。朝の通勤時間ではこういうことに遭うことも珍しくない。私は多くの場合はじっと我慢して、そのときが過ぎるのを待つことが多い。本来ならば告発すべきであろうが、悲しいことにいつもその勇気が持てないのである。では殺人はどうだろうか。今まさに目の前で女性が殺された。髭を生やし痩せた中年の男である犯人は、私を見ると不気味な笑顔を浮かべてその血を私の顔に塗りたくったのである。果たして私は大きな叫び声をあげることができた。

 電車が停まると人々は一斉に車内から駆け出した。犯人の男はそれに乗じて勢いよく飛び出すとまんまと逃げおおせたようである。私はひどく怯えて笑うような膝を支えるために座席の柱に縋り付いていた。

 私は仕事を休むことにした。信じられないような事件との遭遇だったが、朝の山手線の死傷事件はすぐさま話題になり、SNSなどで拡散されていたため、事情を話したら急な有給も承諾された。上司は私が休んだ穴を休憩を削って埋めてくれるという。

 シャワーを浴びたあと、何もやる気が起きず部屋で膝を抱えてぼうとしていると、大学時代の知り合いの男から連絡があった。暇だったら遊ばないかという誘いで、週も半ばのこんな日に声を掛けて来るのは、彼は私がシフト制の接客業をやっていて、平日に休むことがあることを知っているからだった。部屋で一人ジッとしていると、昨日や今日のことを思い出して嫌な気分になるばかりだったので、彼の誘いを受けて出かけることにした。

 空は嫌になるくらい晴れていて、少しじっとりと暑い。私は気分を変えるために今季のプレシーズンに買ったコクーンシルエットのワンピースを着ていて、少し強めの風に服がはたはたと靡いた。待ち合わせの場所に行くと爽やかなマッシュルームカットが特徴の男性がカフタンを思わせるかなり長めのカットソーにゆとりのあるストレートパンツという中性的な格好をして待っていた。それが如何にもサマになっていたので私は少し嬉しくなった。

 彼と街を歩くことは楽しかった。一人ではどうにも気持ちが乗らなかった買い物も食事も彼と一緒ならば気が紛れたし、彼の音楽や映画、小説などの話は私の興味の抱くところと非常に近かったので、とても盛り上がり、多くの点で共感を覚えた。特に人は嫌いなものの傾向が似ていると、好みの傾向よりも強く共感を覚えるもので、彼もまたそういう点では私と気が合うようだった。

 だから「良かったら家で音楽でも聞きながら飲まないか」と誘われたとき、私はすぐに「行く」と返事をしたのだった。互いの好きな音楽を聴きながらお酒を飲むのは、一人でそれを聴きながらお酒を飲むのとは全然違う楽しみがあって、それはどうしても一人ではできないものであったから、こう答えるのはしごく自然なことだった。

 彼の家は2LDKのマンションの一室で、会社の家賃補助があるらしく彼の年齢と比して考えても随分いい部屋だった。居間の壁には本棚、レコード棚があり、飾り棚には多肉植物や高校生の頃私も好きだったM/M(paris)のグラフィックデザインのポストカードなどが飾られている。デスクにはMacとミキサーが置いてあり、壁にスピーカーが掛かっていた。それは一人の生活を楽しんでいる男性の部屋だと思った。そして誰かを招くことを意識した部屋だとも。

 本棚を眺めていると彼が「お酒とつまみを作ってくるよ」と言って台所に向かった。「好きに物色しててくれて構わないよ。気になるものがあったら自由に読んだり聴いたりしてね」とも言ってくれたので、お言葉に甘えて本を引き出してパラパラとめくったり、レコードをかけたりした。するとふと隣の部屋にクローゼットがあるのが見える。彼の今日着ていた服はJ.W.アンダーソンが初めてLOEWEを手掛けたときのものであったと思う、そんなおしゃれな服を選ぶ彼のことだからきっとクローゼットの中も華やかだろう。私は誘惑に駆られ隣の部屋に惹き寄せられて行った。

 果たしてその中のハンガーに掛けられていたものは服のようであり、服ではないものだった。ウェットスーツを薄くしたような体にピッタリと張り付くような素材のもので、頭の天辺からつま先まで包み込むことのできるフォルムをしている。それは、人間の皮のようであった。本物の人間の皮かどうかという点では私は判断がつかない、例えば人の皮を剥がして作ったにしては切れ目なくなめらかで、伸縮性があるように感じる。人の中身をくり抜いて服として装着できるようにしたもの。そのように見える。これを着たらきっと別人の姿に化けることができる、まるでフィリップ・K・ディックのスキャナー・ダークリーに出てくるスクランブル・スーツのアナログ版といった風に。それが幾つもここに並んでいるのである。

 クローゼットのその奇異な景色に私は動揺したが、それ以上に私を動揺させたのは、そのどれもが知っている顔だったからだ。つまりそれは糞を塗ってきたあの眼鏡の男の姿、そして電車で人を殺したあの髭面の男の姿であり、それだけではなく、思い出せばここにある無数の顔はどれもどこかで見たことがあるもので、ただ道を訪ねてきただけの男、家に帰る途中で遭った露出狂、渋谷の交差点でおしっこを飲ませてくれと言ってきた男......とにかく今まで何気なく遭遇した多くの男の皮である。

 私は急に背筋が凍るような恐怖に襲われて急いでその部屋を出る。彼はまだキッチンで調理をしているのだろうか。レコードは針が飛んで同じフレーズを繰り返している。このままにしておくのはおかしいので、曲に集中しているふりをするために震える手で針を直す。それが変に盤を擦って嫌な音がする。「どうしたの?」とキッチンから声がするのに「なんでもない」と急いで答える。

 誰でも良いとにかく誰か男の人を呼んでこの場を立ち去りたい。男性の友人が少ない私がそこで思いついたのが上司しかいなかった。彼に住所を教えてすぐに迎えに来るようにお願いした。「助けて」と。

 料理とお酒が運ばれてきて、彼との会話が始まる。今流れている音楽や、そこに並んでいる本に関する他愛もない話。私は自分の動揺を気取られまいとして自分の笑顔が引き攣っているのを感じる。

 酒や料理に手を付けずにいることはできるだろうか、これに何か入っていたらと思うと気が気ではない。例えば毒、睡眠薬、いやそれだけではない、例えば糞、精液。想像するだけで恐怖と不快感で涙が出そうだった。「料理、口に合わないかな」と彼が言う。できることならばずっとはぐらかし続けたかったが、料理を食べずに彼の神経を逆撫でする方が恐ろしかった。ままよとそれを口にほうばり、あまり噛まずに飲み込んだ。味は美味しかった、それがまた何が入っているかわからないという恐ろしさと合わさって吐き気を催すのだった。そして酒を飲む。その姿を彼はジッと眺めていたのだと思う。

 私は小さい声で「美味しい」と言うと彼は嬉しそうに笑って「それは良かった」と言った。私は震えていた。「そろそろ帰らないと」と言うと彼は「そんなこと言わずにもう少しいなよ」と言って私の手を握った。相手に刺激を与えたくなくて、振りほどくこともできずそれを受け入れるしかなかった。

 彼の顔がゆっくりと近付く、その顔は本当のあなたの顔なの、あなたは誰なの、私の知っている彼なの、それとも別の誰かなの、どうして私を狙うように関わるの、いつからそういしていたの。頭の中の疑問が杭のように頭痛を生む。それが感情を刺激して、恐怖や怒り、悲しみ、不安などが綯い交ぜになった混乱を齎す。私はどうすればいい。清潔で整った顔が近付く。私が思わず頭突きをすると私と彼は額に手を当てて悶絶した。

 するとチャイムが一つ、長く鳴った。彼がハッとした顔で玄関を見る。次いで二回の短いチャイム。彼が仕方なさそうに扉を開けるとそこには上司が立っていた。そして彼を一瞥してすぐに一言「帰るぞ」とだけ言った。それが如何にも頼りがいがあり、私は大きな声で「はい」と言って鞄を掴むと急いで部屋を出た。玄関を出て振り返ると、彼は「どうして」と言った表情だったが、追いかけてくることはなく、諦めてそれを見送ったようだった。

 私は上司とともに歩いていると急にひどく震えて荒い呼吸をしていることに気付いた。上司は多くを聞かなかったが、私を心配して家まで送ってくれた。

 私は上司を見直して、非常に感謝した。そして彼の嫌悪感を主とする印象は、この事件を機に塗り替えられた。というわけではなく、私はやはり上司の臭いに対する嫌悪感と折り合いを付けることが非常に難しいと判断し、職場を退職することにしたのだ。今は就職活動中だが、しかし上司とは連絡を未だに取り合っている。というのも彼は悪い人間ではなく、それがテキストでやりとりする分には臭いは気にならないし、その場合はそれどころか人の為に行動力を惜しまないような良い人でもあるわけで、こうして職場で会うこともなくなりメールや電話を通じて話す限りは、彼の悪い印象も薄まり仲良くしているのである。

 そして人の皮をかぶったあの男、結局彼が何者なのかわからないままだ。ただ私は街で出会う男全てが彼ではないかという恐怖を抱えて生きることになってしまった。ショップの店員、美容師、街ですれ違う人、警察官、面接官、旧来の男友達。全てが疑いの対象で、全てが恐怖の対象だった。

 そしてただ唯一あの男ではないとわかるのは、自分がひどく生理的嫌悪をしている臭いを発する男だけなのだ。実に皮肉が効いていると思う。

【完】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?