見出し画像

『 17 years 』  第2話 2017年セレッソ大阪2冠の真実


『セレッソ大阪ルヴァンカップを制して初タイトル獲得!』

『天皇杯優勝チームはセレッソ大阪!!』


今回は僕が2015年夏にオーストラリアから入団し、
2018年シーズンまで在籍したセレッソ大阪で
クラブが初めてタイトルをとり、二冠達成まで成し遂げた、
2017年にスポットを当てて話をしたいと思います。

クラブの歴史の1ページを作ったチームの
裏側や思い出話をします。

①チームの土台作り


まずこの年セレッソ大阪はJ2から昇格して、
J1へ挑戦するという年でした。
戦力的に見てもJ1の上位チームと
遜色はなかったと思いますが、
2冠をとるにはなにかがあったと思います。

チームの変化としてまずあげられたのは監督の交代です。
皆さんご存知の通り、2017年は尹晶煥監督が招聘されました。

元サガン鳥栖時代のチームを
対戦相手として戦っていた自分は
 「厳しい監督が来るな。」
とシーズン前から覚悟していました。

この年プライベートで仲良くしている
水沼宏太が移籍してきて、
宏太からもよく尹さんの話は聞いていたので、
期待半分、怖さ半分で
シーズンがスタートしました。

キャンプインする前の身体作りの時期では、
朝6時には選手はグラウンドに集合させられて
まだ陽が昇る前から走り込みが始まりました。

一般的にJチームの練習開始時間は9時頃が多いので、
この年のスタートがどれだけ早い時間だったかは
想像してください。笑

なぜそれだけ早い時間に練習がスタートするか。
もちろん監督からは説明がありました。

規則正しい生活のリズムをつくるため」

ごくシンプルで当たり前の事だと思います。
プロの選手は基本的に自分で生活リズムを作り
ベストな状態を作り出します。

この時個人として生活リズムを整える(早寝早起き)事が
目的でしたが、なにかチームの一体感みたいなものが
少しだけ芽生えてきたのを覚えています。

例えばこんな会話がありました。

「お前、昨日何時に寝たの?」
「俺朝起きれないの怖いから20時前には寝たよ!」

部活です。笑

プロの世界ではなかな聞かないような
学生時代の会話がそこにはありました。
私見ですがシーズンの厳しい時期に問われる
チームの一体感の構築の要素もこの朝の集合時間に
あったのではないかなと思います。

始まったプレシーズンのタイキャンプ。
きつかった。。笑

朝の6時にプールサイドに集められて筋トレが始まります。

その後は午前・午後に分かれて
走り込みのトレーニングと
サッカーのトレーニングを
長時間行いました。
これが『鬼の3部練』です。


僕のプロキャリアでは3本の指に入る
キツさのキャンプでした。
部屋に帰ったらやる事は一つ。
寝るだけでした。笑
同部屋の宏太とは2週間励まし合って、
色々な話をしました。

2017タイキャンプの同部屋 水沼宏太 (付き合いは15年くらいかな)

「サガン鳥栖の時もそうだった。
みんな最初はめちゃめちゃきつくて動けないんだけど
身体が慣れてきたら走れるし、強くなるよ。
俺はみんなが変わるのが楽しみ。」

宏太がそんな話をしてくれたので、
なんとか頑張れた自分もがいました。
年齢的に32歳になる歳で、
あのキツい練習を乗り越えた事は
自信にも繋がりました。

田中 水沼 山口 でプールリカバリー(唯一の癒しでした笑)


②シーズン開幕


そんなプレシーズンを過ごし、
いよいよ2017年シーズンが開幕しました。

Jリーグはリーグ戦と並行してカップ戦もスタートします。
カップ戦は若手を試すような意味合いもありますが、
この年のセレッソは試合に関しては
リーグ戦メンバーカップ戦メンバー
チーム内で二つに分けて
マネージメントしていました。

これによりチーム内に一体感が失われる恐れが
ありましたが、このチームは違いました。

カップ戦メンバーは少ない時で
月に一度のカップ戦に向けて
最高の準備をしていました。
若い選手も与えられたチャンスを活かして
監督の信頼を掴んでいきました。

僕はというとリーグ戦ではベンチに帯同して
カップ戦ではスタメンで出るメンバーの一人でした。
そういう意味では数少ない
両方のチームを繋ぐ役割なのかなと思い
コミュニケーションを色々な選手と
図るように務めていました。

年齢的にも中堅からベテランに
差し掛かるタイミングで
若手からベテランまで皆と分け隔てなく
話していた記憶があります。

リーグ戦では快進撃が始まり、
カップ戦の方も1-0のスコアで
勝ち切るスタイルがチームに浸透していきました。

後のカップ戦無敗優勝に繋がるAWAY鳥栖戦での起死回生ゴール

監督が指示を出して選手がなにかをする
というよりは選手自身が自発的に
意見を出し合って、勝つためにハードワークしよう
という雰囲気がだんだんと作り出されていきました。

練習も厳しい中にリスペクトがあり、
いいチームだったなと思います。
プライベートでもジンヒョンやリカルドやソウザ、ヨニッチ
などもよく日本人選手と一緒に大阪の街に繰り出していました。

強いチームになるにはオフザピッチでも、
そんな仲の良さが大事だと僕は思います。

シーズンが後半になるにつれて、
チームの調子も更に上がっていきました。
最初は寄せ集めのようなチームだったカップ戦メンバーも
硬く守り、少ないチャンスをモノにして勝利する
老練なチームへと成長していきました。

気がつけばノックアウトステージに進み、
大阪ダービーにも勝利して、
決勝進出まで成し遂げていきました。

カップ戦メンバーの中心にいたクニ(関口訓充)が
「負けたら俺たちの出番は終わる。
だから、1試合1試合魂込めて最後だと思って戦おう。」

そう言って皆の士気を一つにした「ルヴァン魂」という言葉を
チームに浸透させたのもこの時期でした。

『ルヴァン魂』

カップ戦メンバーの活躍に呼応するように、
リーグ戦も素晴らしい出来で上位をキープしていました。
タレント揃いのチームが走力を手にした事で
安定してゲームを進める事ができていました。
あの厳しかったキャンプが身となり、成果として出てきた訳です。

③ファイナルの決断


そして迎えたルヴァンカップファイナルの週。
クラブの新たな歴史を作るかもしれない
大事な週の朝のミーティング。

尹さんは全員を集めてこう告げました。

「ファイナルは今まで戦ってきたカップ戦メンバーではなく、
リーグ戦メンバーで戦おうと思う。」

今までカップ戦メンバーが少ないチャンスを活かして
最高の結果を残して作ったファイナルの舞台。
おそらくもう一度同じ内容で
勝ち上がって来るのは不可能だったと思います。

その一発勝負の大一番に指揮官がチョイスしたのは、
リーグ戦メンバーの方でした。

この決断に納得いかない選手も中にはいたかもしれません。
ただ、それを態度に出す選手はいませんでした。

例えるなら発表会の前日に作品を作ってきた人間が
作品を仲間に渡して、仲間が発表会に出る。
そんな感覚でした。

ただ一番苦しかったのは監督だったと思います。
もしかしたらシーズン当初、
カップ戦メンバーに過度の期待はなかったかもしれません。
ただ一戦一戦戦っていく中で、ピッチの上で見せた
闘志や成長はおそらく監督が一番見たかった姿
ではないかと思います。

最高の舞台でのファイナル。
試合前のロッカールーム。
そこにはリーグ戦メンバーやカップ戦メンバー
という垣根はありませんでした。

そこにあったのは『セレッソ大阪』という漢たちの集団でした。

全員で組んだ円陣

スタメンで出るメンバーの背中には目には見えない何かが乗っていました。
言葉を交わさなくとも、あの厳しいキャンプを共に乗り越えた仲間達の想い、決勝のピッチに立てない選手の想いを背負った選手達がいました。

結果はご存知の通り、川崎フロンターレに勝利して優勝。
その後の天皇杯もルヴァン杯と同じような流れから
ファイナルに勝利して2冠達成を果たしました。

チーム初のタイトル獲得!!!

この年のセレッソがなぜタイトルを
取れたのかはわかりません。
運が良かった。それに尽きるかもしれません。
ただ、その運を引き寄せるだけの努力を
チームとしてしていたのは胸を張って言えます。


僕がプレーしたプロチームで
あの2017年のセレッソ大阪
超えるチームはありません。
それだけ充実していたし、楽しかった!!!


励まし合った仲間達
励まし合った仲間達part2


今となってはあの苦しかった3部練も笑い話です。笑

メンバーが遠く離れても、あの時のメンバーの動向は
今でも追っていますし、もちろんセレッソ大阪が
また新たなタイトルを獲る事を心から応援しています。

ほぼ毎日一緒にいたチームおゆぬー(今でも連絡を取り続ける仲間)



読んで頂きありがとうございました。

天皇杯優勝!二冠達成!最高でした!!!



最後に僕がこの年にある選手に
心を揺さぶられたエピソードを限定公開します。
是非興味のある方はご覧ください。

ここから先は

1,012字 / 1画像

¥ 500

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?