キリンジの名曲「愛のcoda」について私見を書きつらねる
表題のとおりです。
先日、KIRINJIが韓国のフェスに出演しました。
KIRINJIは昨今のシティポップブームや、YonYonとのコラボもあり韓国でもかなりの人気らしく、久しぶりの出演ということでバンド内では「韓国のファンの期待に応えるべく兄弟時代の名曲もやろう」という話になったようです。そこで上がったのが「愛のcoda」
案の定、フェスでは大ウケだったようで、サビではメロをハミングする人と、コーラスをハミングする人で分かれていて、サビのメロディと同じくらいコーラスも印象的な楽曲なんですよね。
曲について
初リリースはキリンジ時代の2003年「スウィートソウルep」です。同年リリースの5thアルバム「for beautiful human life」に収録されています。
以前、堀込高樹さんが他アーティストに提供した曲についてインタビューで語っている時、『「愛のcoda」みたいな曲を作ってっていう発注をよく受けるんですよね。こういう曲はすぐ書けるから』みたいなことを仰っており、当時の僕は、こんな譜面を読んでも何も理解できない曲を書けるなんて…と思いました。
今なら少しだけ意味がわかります。形がしっかりしており、理論と技巧で作ることは簡単なのでしょう。レベルは天と地ほど違いますが。
タイトルと比喩とモチーフ
codaとは音楽用語で「最終楽章」の意味です。愛の終わりの1シーンを切り取った物語が歌詞に綴られています。
この曲はモチーフや比喩がかなり明瞭です。
まずは色のモチーフ。2人の美しい瞬間が描かれている時はカラフルに、独りの時間は色のない世界として描かれています。
そして花のモチーフ。これは恋人や恋心を表すモチーフです。
どちらもとても明快…言葉を選ばずに言えばありきたりなモチーフだけれども、美しい言葉と華麗な比喩で愛の終わりを綴る歌詞は全くチープではありません。明快かつ深みがあり、誰しもが共感を持つことのできる普遍性もあります。サウンド面でも、コード進行やアレンジに技巧の限りを尽くし、職人が丁寧に作ったポップスとして、何年にもわたり愛聴できる比類なき完成度の曲だと思います。
私見のままに、このシンプルで美しい比喩を紐解いていければと思います。
1番Aメロ
冒頭、飛行機に乗りその地を離れるシーンから始まります。
最初に提示される景色はモノクロ。窓を伝う雫を眺めていることから、窓際の席に座っている、独りであることが示されています。
雨の中、離陸する飛行機の窓に付いた雨粒は『愛の雫』と歌われました。飛行機が飛び立つと同時に散っていく様が別れを意味する。完璧な、お手本のような歌詞。
1番Bメロ
女性の清々しい孤独に心を奪われた、と。その孤独とはどんなものでしょう?彼女はアーティストやクリエイターやジャーナリスト、それも世間に理解されづらかったり、賛否両論を巻き起こすような立場にあるのかなと想像します。数多く理解者を得られるような環境にはなく、常に孤独の付きまとう人なんじゃないかと思わされますね。
そして、そんな生き方をしている彼女の清々しい生き様に心を奪われたんじゃないかと。
人は誰しも孤独であることを知っていて、それを悲観するでもなく楽観することもない姿勢は、とても気持ちの良いものですよね。
『激しく求めた記憶』って表現、すごく良いですよね。
彼女はどんな人生を送ってきたのか、どんな恋愛をしてきたのか、どんなことを考えてきたのか。あなたの過去を知りたい、これまでにそんな風にを思ったことなんて一度もないのに。という、とめどない欲望が湧き上がってきたことを思わせます。
そして『春の宵』と『光の夏』
これ、枕草子と対比になっていませんか?
春はあけぼの。夏は夜。
枕草子で語られる「その季節のいちばんよい時間」と反する言葉が綴られているのには何か意味があると勘ぐります。
激しく求めた記憶、から続くフレーズであることを考えると、春から夏という恋愛で最も盛り上がるような季節を過ごしているのとは裏腹に、自らの心をかき乱され、思ってもいなかった一面が白日のものにさらされている、というような意味があるのかもしれません。
余談ですが、僕がnoteを定期購読している渋谷のバー「Bar Bossa」のバーテンでもあり作家でもある林伸治さんは小説処女作「恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。」で、恋のストーリーを四季に例えてらっしゃいました。
https://note.com/bar_bossa/n/n7b2288393bca
林さんによれば、春と夏は恋が始まり、最も盛り上がる季節です。
そんな恋の季節が、古典で描かれる最も良い時間、とは真逆の時間で綴られています。はじめから終わりを予感させる歌詞になっていますよね。
ここは、オクターブのコーラスとリズミカルな繰り返しで盛り上がっていくメロディも相まって、サビへの高まりを予感させる良いパート。
1番サビ
雲、静けさ、という言葉も色もない世界を想起させる、これ以上ない孤独さを表す言葉からサビがスタート。
『無様な塗り絵』って最高ですよね…!
2番のサビでも同じフレーズが出てきますが、色をモチーフに使われたこの歌詞の比喩でもキーとなる重要な言葉です。
無様な塗り絵とは?それは、様々な色で適当に塗られ、色も濁り、どんなものなのかわからないような状態、ではないでしょうか。
モノクロとカラフルの対比が描かれますが、そこで登場する「無様な塗り絵」という言葉はどちらでもなく、ただただ色が混ざり合い何も表していない状態です。
彼女と出会ったあの街を『無様な塗り絵』と評しているのは、彼にとってきっと、今まで訪れた街々と同じで、清々しい孤独も知らない人ばかりが雑多で空虚な出会いで独りをひた隠すような醜さを感じていたのでしょうね。
そんな街でさえ『花びらに染まっていく』彼女との出会いで人生が一変するような感覚を表しているのかなと感じました。恋をするって世界が変わっちゃうよね。
『今はただ春をやり過ごす』というのは
時系列的に別れを経た後の飛行機の上での心情でしょう。飛行機から街を見下ろして思っているのかもしれませんね。
恋を四季に例えれば、秋、冬は倦怠期、別れの季節。季節がめぐって何度目かの春が訪れたとしても、あの時のように心が湧き立つようなこともなく、地の果てのような孤独の中で時間が漠然と過ぎていくだけ、という気持ちなのかもしれません。
2番Aメロ
2番は夏の描写からです。
強い日差し、やっぱり夏は夜、というわけではないんですね。
2番Bメロ
ここの解釈を書きたいだけで取り上げたと言っても過言ではないです。
これ、夕方、海の見える駅で、ちょうど別れを告げた、あるいは告げられた瞬間の風景描写のように感じます。
別れのあと、彼女は電車に乗って去っていったのでしょうか。夕日に向かって長い線路の上を電車が走り、見えなくなっていく。
海はふたたび青く、やがて暗くなっていき、空は星がまたたく。
一面鮮やかなオレンジ色の景色から一変し、美しい海辺の夜があたりを包み込み、その瞬間にまた孤独が訪れたんですよね。ああ、美しい。
1番でも書きましたが、短い繰り返しフレーズがリピートされ盛り上がっていくフレーズ。彼女を見送り、夜が訪れ、色が失われていく様をこれだけ短い言葉で描けるという才に、ただただ感服します。
これ、共感できますよねー。
激しい恋に溺れて身を任せてしまいたくなるけれども、そんな勇気は持ち合わせていないし、何なら世界が変わってしまうことの方が怖いですから。
そしてキーとなると言葉の『無様な塗り絵』は今度は自分の人生のことを例えています。
そりゃそうですよね。変化に身を投じる勇気もない、彼女の清々しいまでの孤独に畏敬を感じていたと同時に、怖かったのかもしれませんよね。彼は自分と同じような人が日々を過ごす『無様な塗り絵のようなあの街』で過ごすという人生を選んだのですから。
そして、これは大抵の人はそのような選択をするということも共感を呼ぶところです。
ラストサビ
ここで、1番Bメロで触れられた彼女の孤独について、ヒントになるようなフレーズが差し込まれます。
『醸し出されることのない美酒』
お酒とは祝祭的な意味合いを持つもの。これは、彼女はこれから決して人に祝福されるような人生を送れないし、または送らないでしょう。という意味がこめられていそうです。しかしそれを彼女は『探している』といいます。
きっと彼女もまた、清々しい孤独の裏で理解や共感を求めていたのでしょう。
…なんか書いていると、別れた後もその女の人は僕のことが好きだろう、って男性によくある思い込みのように見えなくもないですが、あくまで第三者視点から見て彼女もそうだったよ、っていう解釈の方がストーリーとして良いなあ、と思います。彼女もまた弱かったと描くことで、この歌詞で描かれている男性もきっと弱く格好悪い存在ではなくて、人なんて誰しも格好良く愛に生きることもできないし、孤独に打ち勝つこともできないんだよ、っていうことなんです!
『雨に負けぬ花になるというの?』
花はこの歌詞の中で、女性そのもののモチーフとして描かれています。雨に負けぬ花、というのはどういう意味合いでしょう?
冒頭で雨のシーンが出てきました。男性が置かれた状況は孤独。雨も孤独の暗喩として描かれています。
花のように柔らかでしなやかで強い心を持つ彼女は、孤独に負けじと強くあろうとするばかりに、どんな感動にも衝撃にも動くことない心になることで、また違った形の強さを持つことがこの先の人生を生きていく彼女の選択だったんですね。
逃げ出した男、頑なさで耐えしのぶ女。
ここで『春をやり過ごして』いるのは彼だけでなく、彼女もそうなんですね。夢のような現実のような境目の曖昧な夢のような時間に、彼は激しく戸惑い、ましたが、彼女はきっと夢を見るでもなく、現実を生きるでもなく、夢遊病のような気持ちで春を過ごしていたのかもしれませんね。
そして、お互いが友として隣にいるのは『行き先も理由も持たない孤独』
もしかしてこの先パートナーができたとしても、傍にはやはりこの朋友がいるということの暗示のようです。
人は誰しもが孤独で、だからこそ愛は美しい。
この「愛のcoda」という曲は、誰しもの心にあった、燃えるような愛することそのものの最終楽章だったのかもしれません。
おわりに
例によって疲れたのでそのまま公開してます。中途半端な文章でもお許しください。キリンジ大好き。
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