見出し画像

【西日本豪雨】交通対応最前線ダイアリー:序章

まもなく西日本豪雨(平成30年7月豪雨)の発災から3周年を迎えます.災害から3年経ったら,「やろう」と思っていたことがありました.

それは,当時何をしたのか,可能な限り克明に記録し,そして,社会の邪魔にならない範囲でまとめること.

西日本豪雨で,自宅のある広島と,職場のある呉市を結ぶ道路とJRがぶった斬られました.しかも,ちょっとやそっとじゃなんとかならないくらいに.職場に行けないのです.ということは,市民の方も,移動ができない.

これまでの自分の研究者・エンジニアとしての「発明」の1つは,「災害時BRT」という,災害発生後の移動を支えるバスなどの交通サービスを何とかする仕組み.自画自賛ですが,この発明は「大したもんだ」と,過剰に自己評価しています.

ただ,それ以上に貴重な経験をしたのは,専門である「交通」を何とかするために,あちらこちらの組織,そして色々な方々との調整をひたすらしていったことかと思います.

この経験をきちんと記録しておきたい.何らかの形で伝えたい,という想いは,その当時から抱いていました.ただ,あまりにも直後すぎると,当時一緒に奮闘してくださった方々に迷惑がかかってはならぬ,とも思い,3年ぐらい経ったら,まぁ大丈夫かな,と思っていたら,「3年後」が近づいてきました.

ちょうど今日,所属する学校で,学校のOBで公務員として働いておられる,尊敬する方々をお招きし,学生に講和をいただきました.その中で,「土木は”経験工学”だ」という一言.非常に響きます.まさに,この”経験”を,工学的に残しておかなければならぬ,共有せねばならぬ,と思い続けていました.こういう経験は滅多に巡り会えるものではなく,だけどもその場に出くわした場合,何らか行動する必要に迫られるから.行動しない,やらないという選択もあるとは思いますが,土木の語源である,「築土構木」の精神ではない.

元々自分自身は几帳面とは真逆の性格で,ノートはあまり取らない,手帳で予定は管理しない,その代わり記憶を頼るというスタイルでした.ただ,最近はデジタルツールが発達し,スマホで写真を撮れば撮影日や位置情報が残るし,予定はデジタルのスケジューラーに簡単に入れられるし,メールを見れば,いつ,誰とどのようなコミュニケーションをとったかが残る.今,それらをさらっと見ても,その当時の記憶が十分戻ってきます.細かいところは忘れている可能性もありますが.残っていないのは,誰とどんな内容で電話したか,というところ.ここはどうしようもありません.

ということで,西日本豪雨から3年を迎えるこのタイミングで,振る舞い,交渉,現場へ足を運ぶ,などの「実践」の記録,そして,当時何を思ったのかという記憶を,日記形式で記していきたいと思います.

ただ,元々,「コツコツ」というのが苦手な性格です.何処かで滞ってしまうかもしれませんが,そうなったらお許しください.できるだけ挽回の努力はしますが・・



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?