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【西日本豪雨】交通対応最前線ダイアリー:7月6日-大雨と発災

7月6日(金)

この日は,出身地でもある広島県庄原市の庄原商工会議所にお招きいただき,人口減少問題をとにかく議論する会議に参加した.
会議は午後から.少し時間があったので,午前中に別のプロジェクトでご一緒している国土交通省中国運輸局へ立ち寄った.
中国運輸局は,非常に「すっからかん」の状態であった.職員の方がほとんど居られない.この日,大雨のため午後からJRやバスなどが計画運休の予定があることを早い段階から公表していたため,多くの方が出勤をされなかったではないだろうか.私の職場も,「特別休暇」をとって良いという連絡が来ていた.
その日居られた方と雨の様子,今後の見通しなどを話をしながら,運輸局を後にして庄原へと出発した.
途中の道中はひどい雨だった.そして,メインの会議中も,とにかくひどい雨であった.会議が終わり次第,すぐに広島に戻った.移動中,子どもから何度も電話があった.子どもたちも警報の発令により,学校が早く終わり家に帰ったようである.
ただ,家(広島駅から比較的近い)も安心できる雰囲気ではなかった模様.雨は激しく降り,防災行政無線で避難を促す情報が幾度となく鳴っている.その様子に,当時小学生であった長男と次男は,非常に怯えてしまっている様子が電話の声から伝わってきた.移動中,ずっと電話を繋ぎっぱなしにして,子どもと話をしながら広島に戻ってきた.

夕方,自宅に戻った.そして,雨は一旦小康状態に.ただ,その後の予報は,夜から翌日にかけて,また激しく降り出す見込みであった.

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家のまえの道路が坂道なので,上から下へと水が流れてきていた.ここで流れている雨水も,いつもとは様子が異なった.激しい雨が長らく降り続いたので,流れる水の量が多く,勢いが激しかった.そして,肌色の砂を含んだ水が流れていた.上流(上方)で,何らかの土砂が崩れた可能性もゼロでなはいなと思ったのと,そして,この後,朝にかけてさらに激しい雨が降るならば,「ひょっとしたら自宅が危ないかも」とも頭をよぎった.雨が落ち着いているうちに家の周りにおいてあるものを整理し,そして,万が一のために自分の仕事用のクルマは広島駅近くの安全そうな駐車場に移動ておいた.

河川の水量を見ても,結構な水準までなっていた.この画面は,マツダスタジアムからほど近くを流れる府中大川の水位の推移であるが,18時ごろから既にはん濫危険水位を上回り,そして,この後,激しく,長時間振り続ける予報.ひょっとしたら広島市内中心部も水没するのかもしれないとまでも思った.

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この日,もう1つ気になっていたことがあった.
職場での学生の部活動で,大きな大会のために,山口県宇部市に泊まりがけの遠征に行っていた.遠征に帯同するスタッフとして,その年に地方公務員になったばかりのOBが帯同してくれていた(学校および職場の手続きを取った上で).通常,大規模な災害が発生すると,都道府県や市町村などの自治体は,災害発生時,そして発生後に多くのことに対応しなければならなくなる.避難所の対応,災害発生状況の初期段階調査,短期の復旧,甚大な災害であれば,国との手続き,測量,工事の計画など.
自分自身,大学1年生の時の夏休み,地元の役場でアルバイト(臨時)で大雨災害後の復旧調査・事業化の現場に関わる機会をもらっていた.この時の役場の土木職の方の様子は,本当に忙しそうで寝る暇もない様子だった.「この後,激しく雨が降る」,そして,何も起こらない気がせず.この後,相当の確率で現場が忙しくなるであろう中,1年目の若手が,学校の事情で数日職場を開けるわけにもいかないだろうと.
6日の夜,公共交通手段が止まってしまい,明日以降,公共交通で戻れる見通しも立たない,ということで,宇部に行ってくれていたそのOBを,車で迎えに行くこととした.
20時に広島を出発.山陽自動車道が通行止めとなっており,国道54号を北上し,広島北ICから中国道を経由して宇部へ約3時間弱.途中,不思議なほど雨が降っていなかった.「線状降水帯」は,本当に局所的に雨が降るものなのだと実感した.
そして,宇部に到着し,そのOBを車に載せた後,直ぐに広島を目指した.

広島への帰路は山陽自動車道を通ることにした.そのOBを送る場所の関係であった.移動の車中で,この後行政機関では,こういう対応をしなければならず,そして,数日間家に帰ることができないかもしれないので,覚悟しておいた方が良いよ,着替えとドリンク剤を相当用意して持って行った方が良い,そして,細かい指示が上司から飛んで来ないかもしれないので,様子を見ながら,察知しながら動くように,言った話をしながら,広島を目指した.
山陽自動車道は,山口から徳山までは通行止とはなっていなかった.車はほとんどおらず,また,雨もほとんど降っていなかった.徳山で高速道路を降りた後,国道2号で東に向かったが,ここからの雨の降り方は尋常ではなかった.バケツをひっくり返したような雨が降り,前もあまり見えない,ワイパーを全速で回しても追いつかない.路面も冠水している箇所が多々.よく考えれば,高速道路が通行止となっている区間に並行するところであり,そこが雨が降っているのは想像がついたことである.路上に斜面崩落で流れ出たような土もあった.妻のクルマが四輪駆動ので車高が高めのSUVであるが,そのようなクルマだったので,なんとかなったかもとも思う.こんな状況で1時間は走ったと思う.後で家に帰って車を見ると,結構高いところまで砂の跡があった.

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県境を跨いで広島県(大竹市)に入ったあたりから,雨は落ち着いてきた.大竹市〜廿日市市の間は,国道2号にはバイパスがなく市街地を通過するが,何故か車の流れは遅かった.そして遠征に帯同してくれていたOBを自宅まで送り届け,そして,ハッパをかけて送り出した.後日,話を聞くと,やはり,数日は家に帰られなかった,あるいは,シャワーを浴びにだけ家に戻った,という日々が続いたようであった.特に土木系で公務員を志す人は,災害に対応した方の話を聞いてほしいし,それを理解しておいて欲しいと思う.

そして自宅へ.自宅に着いたときにはカラッと晴れていた.家がどうなっていたか心配で,恐る恐る家へと戻ったが,何にもなっていなかったのには安堵した.そして,家から安全な場所に動かしていた車を取りに行って,朝,眠りについた.

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