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【西日本豪雨】交通対応最前線ダイアリー:7月14日-提案行脚

7月14日(土) 晴れ

昨晩遅く(午前2時過ぎ)に帰宅し,ザーッとラフな資料のスケッチを作成した.
朝6時に目覚め,そのスケッチから,提案のための資料を一気に作成した.2時間ぐらいで仕上げた.その資料がこちらである.
2時間でよく仕上げたと思う.これは,民間のコンサルタントでの経験が活きたか.

▼災害時BRTをはじめとした渋滞対策の提案資料

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この資料,本当は一緒に議論した呉市の名前も入れたかったのであるが,「夜討ち朝駆け」?を想定していて,了解をとる時間もなかったので,単独の名前で出すことにした.(この点については,事前に説明済み)

恐らく,資料全体を初めて公開し,そして,提案した内容も初めて公表することになるが,提案したのは「災害時BRT」だけではない.”総合的な渋滞対策”である.大きく4つ.1)幹線交通確保としての災害時BRT,2)ただ,それでも渋滞が消えない場所があるので,2)ダメージの少ない鉄道区間を活用,3)効果を早く出すための”実績情報発信”,4)さらに交通量を減らすための,モビリティマネジメント,の4点である.

この資料には,「実現に向けた課題」を書いておいたのもポイントかもしれない.特にこういう事態では,実現できないものや,手続きが困難なものなどの提案はご法度である.状況は把握し,ある程度進められるところは動いていて,だけども,確実に確認をしておくべきことはコレ,とも書いておいた.現場が大混乱となる中,道筋をつけて,あるいは道筋が見えるようにしておく配慮は不可欠である.

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なお,災害時BRTについては,資料を作成した段階では,「temporal BRT」という名前にしていた.BRTという名前については,絶対に外さないつもりでいた.物珍しさ,また,当時,BRTという言葉が公共交通の中では流行り言葉でもあったためである.temporal(一時的)という言葉についてはこだわりはなかった.もう少し考えようと思っていた.

朝,資料を自宅の近くのコンビニで印刷した.まだ,この時点で,どこにこの提案を持っていくか迷っていた.いずれにせよ,「国土交通省中国地方整備局のどこか」,というのだけは決めていたのだが.なぜ,「国土交通省中国地方整備局」なのかは,災害発生後の渋滞を対象に,「広島県災害時渋滞対策協議会」が,中国地方整備局の道路部が事務局となり,設置されていたためである.ここにアクセスすれば何とかなるだろう,と.
「渋滞対策協議会」は,全国各地に,普段の渋滞対策を検討するために設置されている.ただ,”災害時渋滞対策協議会”は,災害が発生した際に設置される.これは,2016年の熊本地震で設置された.熊本地震の知見が,西日本豪雨での渋滞対策に引き継がれている.

▼中国地方整備局 「災害時渋滞対策協議会」のページ

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後は,「どこからアクセスすれば確実に刺さりそうか」,という点である.委員名簿を見ながら,あれこれ考えた.悩んだ.本丸に行くか,知り合いを通じてアクセスするか・・・

▼広島県災害時渋滞対策協議会の委員名簿(第1回,その後,回に応じて増える)

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結果,広島国道事務所からアクセスすることとした.この年(2018年)の4月から,広島国道事務所が主催する委員会に呼んでくださっていて,渋滞対策協議会の委員でもある副所長と面識があったこともあるが,一番の決定要因は,当時の事務所長が以前から知っていた方であったことであった.不思議な縁であった.大学院時代に知り合った,同じ分野を学ぶ他大学の大学院の学生(確か,台湾かどこかの海外か,それか,栃木の茂木サーキットかも..記憶薄)で,国土交通省に就職した知人がいる.10年近く前,東京に行った際にその知人に挨拶に行ったが,その時の知人の上司がその方であり,その後,勉強会で喋る機会をいただいた.もしそれがなければ,広島国道事務所に話に行っていないかもしれない.

9時半,広島国道事務所に到着した.通常時は営業時間外である土曜日の朝から,アポなしの訪問である.国道事務所の総務の方がおられ,所長は一度帰られて,10時に来られるとのことだった.「どうしても早々にお話ししたい」とお伝えし,10時過ぎに再来することとした.

10時過ぎ,その資料を直接お渡しし,説明した.何人かの事務所の職員の方も同席されていた.そして,提案した施策の実現のために,また,それ以外にもこの災害対応で最大限の協力をしたいと伝えた.

その後,広島国道事務所を出て,呉市役所へと向かった.結果の報告のためである.呉までどの経路を通って行こうか,どの経路が渋滞が少ないかを考えたが,どこも渋滞している.経験的に,国道31号が早いかなと思い,そのルートで行くこととした.

▼広島〜呉間の渋滞の様子(7月14日11時ごろ)

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このルートを明るい時間に通るのは,災害発生後2度目である.開通後初日の朝と異なり,渋滞していた.「開通後初日の朝」が空いていたのは,奇跡的・・ではなく,情報が行き渡るには時間がかかる,という意味だろうなと解釈した.新聞やラジオ,口コミで広まるには,どうしても時間がかかる,即応性がない.もし,「災害時BRT」が実現したならば,この「タイムラグ」を如何に短縮するかを考えなければならないなと考えた.

国道31号の沿線の光景は,衝撃的だった.2日前に通ったはずである.ただ,その時には,「水尻地区の迂回路」に気を取られていたのであろうか.

▼ビーチの駐車場に留置された移動車両

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▼広島呉道路の崩落部.ガードレールだけ残る

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呉市役所に昼過ぎに到着.広島国道事務所との打ち合わせの結果を,交通政策課長に報告した.その後,職場に立ち寄り,少し仕事をしたのち,広島大学へと向かった.恩師に提案したことを報告するとともに,この先,これが動くようであれば思いっきりやるので,迷惑をかけたらごめんなさい,と言った話をした.「思いっきりやれ,この状態なので,何をやっても効果は出る.悪いことにはならない」という言葉をいただいたのは大きな励みとなった.
それ以外に,「temporal BRT」の名前をどうするか,という話もしていた.何かかっこいい名前はいるよね,と言いながらも「災害時BRT」ですかね,でももう少し格好良くならないですかね.といった話をした.

広島大学を出て,広島県庁に向かった.ここでバスを走らせるとなると,公共交通部局の出番となるためである.ここにも伝えておかなければならない,と.

途中,山陽自動車道を通って行った.山陽自動車道の志和〜広島東IC間は,その区間にあるトンネルの坑口付近の土砂が崩れ,トンネル内に大量に流入したため,その撤去に随分と大変だったようであった.その通行止めが解除されたこともあり,沿道の様子を見ておこうというのもあった.もちろん,この経路は一般的な経路である.
本線も,インターチェンジも泥まみれであった.この状態だと程々のスピードに抑えて走らないと危ないかも,と思ったくらいであった.

▼広島東ICと一般道の交差点の様子(7月14日)

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広島県庁に到着した.18時過ぎであった.県庁の公共交通担当部局の様子は,非常に慌ただしい状況であった.1週間前の様子と全く異なる.「戦場」のような様子であった.話を聞いてみると,週明けにはこの渋滞を何とかするように,トップから指示があったとのこと.そのタイミングもあり”動き始めた”ようであった.県庁にも,午前中に国土交通省に手渡した資料と,そのデータを渡した.その際に,県庁には1つ,「絶対にこれはお願い!」という依頼をした.この交通サービスを公表する際には,「災害時BRT」という名前を絶対に,絶対につけるようにということである.その理由として,「災害時BRT」という名称には,あえてこうした,一般には馴染みが薄く,ただし,関心のある人は知っている言葉を使うことでスピードある普及を狙ったことと,新しいキーワードということから,希望感が出ないかというところ,そして,この事例を今後の全国の他地域での災害発生時にも役立ててほしいという,水平展開の狙いと想いがあったためである.何らかの白書に載ればいいかな,と思っていたが,防災白書には掲載された.

県庁での様子から,これは,週明けには動くなという感じがした.動き出した場合に備えて,やるべきことがいくつかパッと浮かんだ.この週末は3連休.明日以降の2日間で,それに備えることとし,県庁を離れ,その段取りを進めていった.

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