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けれども私は自然を崇拝する側に立ちたい

「没後70年 吉田博展」を観に、東京都美術館へ行ってきた。作品自体もすばらしく、展示の構成もすぐれた、たいへん観ごたえのある展覧会だった。

数年前に生誕140年記念の回顧展が開催されていたけど、わたしはその回顧展には行かなかったので、いままで吉田の人となりなどは知らなかった。今回の没後70年展で、作品だけでなく、作品のつくられた背景、そして吉田の生き様について、よりくわしく知ることができた。以下のリンクは公式サイト。

画家の生涯と展示作品についての概要は、公式サイトにあるので、くわしくは触れない。ただ、基礎情報として、吉田博の画業について簡単に書いておく。

吉田博は久留米出身の九州男児。画歴の前半には、旅行や登山で見た風景を題材に、油絵と水彩画の戸外制作作品を多く残した。中央画壇に反発して、自費で渡米し、作品の質と量、一貫した姿勢と行動力で、はやくから国内外で名声を確立。40代半ばで木版画をはじめて以降は、風景の微妙な陰影や光の移ろいを、版画で繊細に表現することを追求した。

この展覧会では、吉田の後半生のライフワークである木版画が中心になっている。

版画が中心になっているだけあって、その繊細な表現、とりわけ吉田以前の木版画の常識をはるかに超えた、幾十度にもおよぶ重ね摺りについて、多くのスペースと説明が割り当てられている。

板木の展示もあり、描線を丁寧に削り出した痕跡や、複数のインクが染みついた様子、板が変形して亀裂が入ったりしているところなどは、よく見ればとても面白い。この板木と実際の版画作品、そして下絵となるスケッチをくらべて観ていると、時間がいくらあっても足りなくなりそうだ。

そんな展示のなかで、わたしが最も興味深く観たのは、吉田の写生帖。旅先で用いていたスケッチブックだ。ここに描かれた絵は、どれも描線が走っている。迷いのないストローク。見たもの感じたものを的確に描写しようとしているのがわかって、気持ちが良い。

吉田は「早描きの天才」の異名をもっていたそうだ。わたしも速写(クロッキー)で描くのは好きなので、吉田の手による描線を観ていると、感情移入してしまう。下の写真は図録より、展覧会で公開されていた、初期の写生帖に残されたスケッチの数々。

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風景や建物だけでなく、人物や動植物も、写生帖には的確にいきいきと描かれている。そしてそれらの大半は、おそらく版画の素材として活用されている。版画には、明らかにそれとわかるものもあれば、もしかしてあのスケッチが元になってるのかな、と思える程度のものもある。下の写真も図録より、写生帖のスケッチ(上)と、同じ人物が描かれた版画作品(下)。

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一見すると同じように見えても、大なり小なり、スケッチの段階から変えられて、版画の素材にされているようだ。吉田は、旅行や登山で目にしたものを、膨大な速写デッサンで記録している。そして、いわば記憶の外部記憶装置として写生帖を活用しつつ、新たな版画作品の世界を組み立てていたように思える。

これも図録を写真に撮ったものだけど、下の作品は、スケッチ(左)がそっくりそのまま版画(右)にされた感じのもの。スケッチ段階でこれだけ描き込んでいれば、そうなるよねぇ、と思わされる。版画の方に描かれている人物も、きっとどこか別のページにスケッチされていたんだろう。もしかして、全く別のところで描いた人物を配置したのかもしれない。吉田の版画作品が写生とは異なり、綿密に構成してつくられていたことがよくわかる。

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山の天候は変わりやすい。山だけでなく、自然の風景は、季節や時間帯、天候によって表情を変えるのが常だ。

吉田は、同じ板木に対して色の組み合わせを変えることで、さまざまな風景の表現を試みている。そのためには正確に記録した写生帖のスケッチが必要で、それを元にして記憶を呼び戻しつつ、その一瞬一瞬の違いを表現しようとしたに違いない。

刻一刻と変わる自然の光を捉えようとした試みは、戸外制作を重視した、いわゆる印象派の画家たちの連作が有名だ。一方で、吉田は正確なスケッチと記憶を参考に、版画の摺り方を変えて変化と様々な表情を表現しようとした。アプローチは違っても、自然に対する真摯な姿勢は共通している。

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このnoteのタイトルにした「それでも私は自然を崇拝する側に立ちたい」は、吉田博の言葉として、この展覧会で取り上げられていたもの。公式ウェブサイトの演出の冒頭にも出てくる。この言葉の前後や、出どころ全体の文脈は不明だけど、彼の自然に対するスタンスを表明した一文なのは確かだ。

「自然をありのままに写すべき」といったジョン・ラスキンを思い出す。いや、吉田は「崇拝する」と言っているのだから、ありのままに再現することを超えて、より自発的に表現しようとしていたかもしれない。

もっとも、初期の水彩画や油絵の制作では、本格的に登山をして、何日もかけて戸外制作していたということだから、はじめはバルビゾン派や印象派に近いスタンスだったのだろう。後年の木版画では、写生帖のスケッチをもとに画面の骨組みを作り、摺り方を変えて、異なる季節や時間帯の風景を描いている。この制作方法の変化は、吉田が"崇拝する"自然への畏怖を表現するためだった、というのは考えすぎだろうか。

言いかえれば、写実表現の背後にある普遍性の表現。あ、これはわたしが目指しているものだった。吉田博の作品に妙に共感できたのは、写生帖の速写スケッチだけでなく、全ての作品に底通している、"自然を崇拝する側に立つ"眼差しのせいだったのかもしれないな。

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