【誕生石のはなし・スピンオフ】宝石の名前
毎月書いている誕生石のはなし。
このところ翌月になってから、その前の月の誕生石について書くペースになっている。となると、12月の誕生石については1月になってからということになるのだけど、年が変わると区切りがついてしまうのでちょっと気持ちが落ち着かない。かと言って、いまがっつり5000字以上を書くほどの余裕はない。
ちょっと言い訳じみてしまったけれど、年をまたぐタイミングのこの時期、小休止のスピンオフ記事を書くことにした。いつもの誕生石の話は、年明けに。
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まずは予告を。
昨年の12月にはターコイズ(トルコ石)について書いたので、今年はもうひとつの12月の誕生石タンザナイトについて書くつもり。
このタンザナイトという宝石の名前は鉱物の名称ではない。ゾイサイト(灰簾石)という宝石種(スピーシーズ species)のうちブルー〜バイオレットの色味のものに対してつけられた変種(バラエティ variety)名だ。
宝石学でいう宝石種は、その宝石が鉱物の場合は、だいたいが鉱物学で分類される鉱物名か鉱物グループ名(族名)にしたがう。変種は宝石種の下位区分として位置付けられている。宝石を呼び分ける際の習慣がベースになっていて、いわば俗称にちかい。
たとえばルビーは宝石種コランダムのうち赤いものを指す変種。エメラルドは宝石種ベリルのうち緑色のものを指す変種。おおくは歴史的に定着した呼び名だ。
宝石の変種名はこのように色の違いによって呼び分けられることがおおいけれど、光学効果によることもある。スタールビーやキャッツアイエメラルドなどは光学効果による変種名。光源によって異なる色に見えるアレキサンドライトも、クリソベリルという宝石種の変種のひとつだ。
鉱物学での命名が分類学の視点なのにたいして、宝石学での呼び名は識別するための実学の視点。変種の概念がうまれた背景にはこの視点の違いがある。
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商業名も変種に似ている。鉱物の分類には使わないけれど事実上通用する呼び名だ。しかし広く一般化されているとは言いきれない、いわば方言のようなもの。
鑑別書では追記事項として「市場では○○として知られる」などと記載するにとどまる。この変種名と商業名は鑑別機関によってスタンスが異なる場合がある。鑑別機関Aが変種として記載するものが、鑑別機関Bでは商業名になるなんてことがたまにある。
商業名としてならなんでも書けるのかというと、もちろんそんなことはない。実際に通用しているかどうか以前に誤解を招かないことが重要だ。
典型例が米国のニューヨーク州ハーキマー地区で採れる両端が尖ったクォーツ(水晶)の結晶。市場ではしばしばハーキマーダイヤモンドと呼ばれるのだけど、クォーツがダイヤモンドと誤解されてしまっては大変だ。だからいくら呼称が定着していてもこうしたケースでは商業名として記載することはない。
ちなみにこのハーキマーダイヤモンド、わたしの所属機関では無色透明のクォーツを指すロッククリスタルという変種名を記載するだけ。商業名についての言及は一切しない。
変種になるか商業名にとどまるかはちょっとわかりにくいところがある。
たとえば宝石種ベリルではエメラルド(緑)、アクアマリン(青)、モルガナイト(ピンク)、レッドベリル(赤)など色の違いによる呼び名が変種になっている。ところがトルマリンではルベライト(赤)やインディコライト(暗青)などの呼び名は商業名扱い。わたしの所属する鑑別機関では、変種になるトルマリンはキャッツアイをのぞけばクロム・トルマリンのみ。パライバ・トルマリンですら商業名という扱いになっている。
ベリルに関してはエメラルドがとてもよく知られているので、たとえばレッドベリルがレッドエメラルドなんて呼ばれているのを聞くことがある。エメラルドは濃いグリーンのベリルのことだから混乱を招く。鑑別書ではたとえ要望があっても商業名レッドエメラルドなどと書くことは絶対にない。
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タンザナイトに話を戻す。
タンザナイトが世に出たのは1960年代。比較的あたらしい宝石ながら、現在とても人気がある高価な石だ。
変種名タンザナイトはブルーやバイオレットのゾイサイトだから、ほかの色味のゾイサイトはタンザナイトとは呼べない。しかし本家?のタンザナイトにあやかってグリーン・タンザナイトとかイエロー・タンザナイトなんて呼ばれることがある。
もちろん先に例をあげたレッドベリルの件と同様に、鑑別書ではそのような記載はしない。ただグリーンやイエローのゾイサイトというだけ。
ブルー〜バイオレットのゾイサイトをタンザナイトと命名したのは米国のティファニー・アンド・カンパニー社だった。
タンザナイトが見つかったのはアフリカ大陸の最高峰キリマンジャロのふもと。産地の国名タンザニアからタンザナイトと命名された。独立したばかりのタンガニーカとザンジバルによる連合国家タンザニアが成立したのが1964年。その直後のことだった。変革が続いたアフリカ諸国には最先端のイメージがあった。アフリカ大陸のもつ神秘的なイメージも手伝って、タンザナイトの商業的な成功につながった。
ティファニー社があらたな名称でこの宝石を売り出したのは、ブルー・ゾイサイトではあまりに印象が悪いからだった。
”ゾイサイト”という響きは”スイサイド(自死)”に似ている。そしてブルーには憂鬱という意味合いもある。なるほど印象はネガティブになる。とても宝石名としてふさわしい響きではない。
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わたしが米国に出張したあるとき、機関誌の編集にたずさわっていた同僚がグリーンのゾイサイトをグリーン・タンザナイトと呼んでいた。ふだんの会話とはいえ、本業なのにその呼びかたは違うだろうと違和感をおぼえ、わたしはグリーン・ゾイサイトと呼んだ。
彼女は「ゾイサイトという石の名前よりもタンザナイトのほうが響きが良いから」と言っていた。まぁ実際はそんなもんだよな、業者さんたちも名前をつければ売れるとかよく言ってるし。そんなふうに納得したのをおぼえている。
しばらくしてその同僚は退職してしまったのだけど、後日ソーシャルメディアの投稿で彼女が家族を自死で亡くしていた事実を知った。
彼女はグリーンのゾイサイトをグリーン・タンザナイトと呼んでいた。
くわしい理由を聞いたわけではない。しかしそうした事情を知ると、ティファニー社がブルー・ゾイサイトという名称を嫌ってタンザナイトとしたエピソードを思い出す。
世間での宝石の呼び名はさまざまであっても良いのかもしれない。
しかし、わたしは鑑別する立場だから宝石の呼び方にはとうぜん厳密にならざるを得ない。なにかと記録に残る現代、「GIAの桂田がこう言った」と悪用されないとも限らないからだ。
なかには狡猾なネーミングで阿漕な商売をする者がいる。それは世の常でどうしようもないから、買う側は知識をつけて自衛しなくてはならない。
さいわい現代はミネラルショーなどでもほぼ全員がその場でネット検索できる環境にある。なにごともリテラシーが必要な時代。宝石をみるにも買うにもリテラシーが求められるということだ。
最後に、宝石の標本の写真を。ラベルには宝石種につづいてvarietyとして変種が記載されている(例:Beryl variety Emerald)。カッコつきの宝石種は、鉱物名を記載してカッコのなかに宝石種が書かれている(例:Elbaite (tourmaline))。ちなみにトルマリンは鉱物のグループ名が宝石種とされている例。
下の写真はガーネット。ガーネットもトルマリン同様に鉱物グループ名。宝石種として鉱物名がつかわれることがおおく、トルマリンとはすこし事情がことなる。
今回の見出し画像もこの職場の展示のタンザナイト標本。次回はあらためて12月の誕生石タンザナイトについて書く予定。しばしお待ちください。
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