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人生を載せて走っていく

今日、オカンからクルマを買い替えたと連絡が来た。

家族4人分のキャンプ道具と思い出を乗せて走ったプラド。

僕のクルマ酔いのせいでいっぱい迷惑をかけた。

両親は僕の野球の試合がある度に
プラドに乗っていつも応援に来てくれた。

高校3年、受験に失敗して浪人の選択をした僕を
広島の河合塾まで連れて行ってくれたのもプラド。

関西の大学に進学が決まった僕を新居に連れて行ってくれたのもプラド。
あの日の寂しそうなプラドは今でも忘れない。

社会人になって上京したけど、
たまに帰省するとプラドが空港まで迎えに来てくれた。

今までクルマを移動のための道具としか思っていなかった。
でも、こうやって振り返ってみると、もしかするとクルマは
人生を走り抜くためのパートナーなのかもしれない。

オカンはこんなことも言っていた。
「お父さんと繋がっているものを捨てるみたいで寂しい。」

オカンはプラドに、2年前に死んだオトンとの思い出も乗せていた。

僕は今東京に住んでいるが、
たまの旅行や埼玉にあるお気に入りのサウナに行くときに、
クルマを使うくらいなのでカーシェアを利用している。

毎日使うわけでもないからカーシェアはとっても便利だし、
経済的にみてもメリットしかない。

と、思っていたけど、カーシェアだと
あの人とあの場所に乗っていたクルマのことなんて覚えていないし、
特に思い入れができるはずもない。

それが悪いことだとは思わないけど、
なんだか思い出を味気ないものにしている気がして、
ちょっと勿体無い気もする。

今、縁あって某自動車メーカーの仕事を担当しているのだが、
この前上司と飲んでいる時に、
「クルマは他の商材にはない楽しさがあっておもしろい」
という話を聞いたことを思い出した。

「クルマは、売って、はい終わり。ではないんだよ。
毎年メンテナンスもあるし購入した時のディーラーさんと
何年、何十年もお付き合いがある珍しい商材なんだ。
だから、クルマの仕事は楽しいんだよ。」と。

その時はふーん。としか思わなかったけど、
少し気持ちがわかった気がする。

自分がやっている仕事で誰かの人生を変えられるのだとしたら、
こんな楽しいことはない。

別に直近でクルマを買う予定はないけど、
僕が結婚して、家族ができたその時は、
人生のパートナーを選ぶつもりで、思い切ってマイカーを買おうと思う。

あと、オカンには新しいクルマで、新しい人生を楽しんでほしい。
でも、オトンも一緒に乗せてあげてね。


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