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呼吸と身体でお互いの感覚をあわせる   <あの日あの言葉シリーズ>2012年10月 #変化を常に#まなびの人生設計図

30歳のときに書いた新聞寄稿文、あの日あの言葉シリーズ。noteに蓄積するために遡って投稿しています。

すぃーちょん、すぃーちょん、ガチャガチャ、秋の虫の声が早朝の部屋を満たしています。里山の秋は、朝晩の冷え込みとともに、徐々に深まって、垂れた黄金色がなびいています。夏に旺盛に伸びた草を刈り、稲刈りの慌しさが続きながらも、冬に向かっているなぁと感じる今日この頃です。

私の住んでいる集落では、8月は先祖の御霊を供養する盆踊り、9月のはじめに農作物が風水害にあわないように風神様(かざかみさま)のお祭り、10月には収穫を祝う大祭(たいさい)と、多くの行事、神事があります。それぞれ昔からの意味があるとともに、地域住民が一同に集まり、楽しみ、互いの平穏無事を確認しあいます。

まちに住んでいたときに感じていた余暇を楽しむお祭りというだけでなく、普段から顔をあわせて、ときに一緒に踊り、一緒に祈り、呼吸をあわせる。

コトバとアタマで理解しあうのではなく、呼吸と身体でお互いの感覚をあわせる。お祭り以外にも、道役で草を刈る、消防団で活動するなど、互いに呼吸をあわせる習慣が今も里山には残っています。

何か事を成すときは、互いに呼吸のあった顔見知りの中で、協力しあい、現場でつくりあげていくことができる。技術も、道具も、材料も、人材もすべてが十全にそろっている。

何かの自然災害があっても、米は各家にある、水や燃料は山から、隣の人もみんな知っていて避難する、自然と地域で暮らしている日常がそのまま困難を乗り越えていくときの基礎となる。

普段、おおらかで、余裕があって、いざというときにもなんとかなると思えるのも、常に自然と対峙しながら、手間ひまをかけて、変化に柔軟な暮らしをしているからだと感じています。「常」に意識をおいて暮らせる安心感はなによりもありがたいです。

私は、地域コミュニティをベースにしながら、いろいろなゆるやかな集まりの重なりの中で暮らしています。M-easyを通した活動以外にも、例えば、子どもたちと共に育ちあう「プレイパーク」、イキイキワクワク農業サークル「アグロプエルタ」、自治の力で森づくり地域づくり「旭木の駅プロジェクト」「モリ券」、農山村へのシフト「千年委員会」など。つい先日には「とよた森林学校」の間伐合宿で森づくりの先生や仲間もできました。他にも地域内外でさまざまな集まりに参加させていただいています。

自然と地域と一緒にあることで自然とわかった「何か」を、この旭で感じているとともに、ゆるやかな気心の知れた顔なじみの関係の中に、同じような「何か」を感じています。里山での営みの中から学ばせていただくことは本当にたくさんあるけれども、この関係の中の「何か」は、どこにどのような暮らしをしていても、生きていくために忘れてはいけない、受け継いでいきたい、「何か」ではないかと感じています。

*2012年10月 新三河タイムズ 持論異論 寄稿文 編

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