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くらしごと

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地域で暮らす、はたらく、生きる。
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#変化を常に

本業1本という幻想 #まなびの人生設計図

大工さんの一挙手一投足にキラリと光る技。男子なら一度は憧れた存在ではないだろうか。 実家は、家族のみ経営のダンボール工場だったこともあって、産まれた頃から現場で汗を流してはたらくことが身近だった。 M-easyをはじめたときも、単純に農業研修に通っていたトマト農家さんでさまざまな作業をして、お昼に仏盛りご飯をかきこむのが楽しみだった。このあたりから坊主頭にしたので幼少期からのあだ名「もじゃくん」は卒業して、「親方」というあだ名で呼ばれるようになった(笑) なにか一本で生

身の丈にあった背伸び #変化を常に#まなびの人生設計図

ほんの少しだけ背伸びをして壁の向こう側をみる そこには未知の世界が広がっていることを知る ほんの一歩だけ踏み出してみる そこには未知の出会いが待っていることを知る ほんの一言だけ挨拶してみる そこには少しだけ昨日と違った私とあなたになることを知る ほんの一部だけでも自分のことを許してあげる そこには誰かのことも許せる自分がいることを知る ほんの少しだけ自分の悲しみを誰かに伝えてみる そこにはやさしさがあふれる世界があることを知る ほんの少しずつ自分を表現してみる そ

仕事も心もいっぱいになったらまずしなければならないこと #変化を常に#まなびの人生設計図

寝るこれしか回復するすべはないですね。 寝てリセットして新しい一日を迎えよう私。 寝ました~~~

<考>いなか暮らしのお役4 #変化を常に#まなびの人生設計図

日曜日、集落のお祭りとは別に近隣の集落があつまってとり行われる郷社祭りがひらかれた。私が大好きなお祭りのひとつである。我が家の4兄弟は皆、郷社祭りのときに初参りもさせてもらった。 今年は、コロナ自粛によって控えてきた渡御(神輿を担いで境内をめぐる)、巫女舞も3年ぶりに開催された。長い坂を山車をひいてあがってくる宮入、太鼓、笛、余興、宴会等は引き続き自粛中のままである。 2022年度は氏子総代のお役を引き受けることになって、年間を通じて、会合や行事のお手伝いをはじめてするこ

<考>いなか暮らしのお役1 #変化を常に#まなびの人生設計図

いなか暮らしのお役は、年間を通じて多種多様にある上に、色々な視点からの切り取りかたで見ることができる。このネタだけで1ヶ月くらい書けそうなので(笑)タイトルに番号をつけてみた。 今日は、槇本町の環境美化の日、来週秋の大祭があるので、毎年1週間前に設定される。槇本町は、ぼくが住んでいるわけではないけれども、運営している、地域密着型デイサービスあんじゃないと多世代シェアハウス&コミュニティスペースこらっせるがあるので、当たり前のように参加している。 環境美化というと、まちなか

<考>いなか暮らしのお役2 #変化を常に#まなびの人生設計図

昨日は、槇本町の環境美化とあわせて自分の集落のしめ縄づくりがかぶっていた。いつもは大祭当日にやるのだけども、都合が悪い人がいて別日になった。 意外と直前になって日程が決まる(笑) 最近は少し事前に決めるようになったけども、2ヶ月前だとまだ早くて、次の常会(月1回集落全戸で集まる寄り合い)で決めようねとなることもある。そして、みんななんとなくそれを想定して予定を組んであり、集まることになる。 移住世帯は、単身または核家族が多いので、お役のかわりがいないのがいつもつらいとこ

<考><楽>いなか暮らしのお役3 #変化を常に#まなびの人生設計図

今日、10戸だけの小さな集落の小さな大祭は、厳かにゆるやかにとりおこなわれた。 本当は一戸ひとりではなくて、集落の全員が集まって、それぞれが持ってきたお重をつついて、団らんを楽しむ、年に1回の日。コロナ対策で縮小版。でも今年はしめ縄もつくれたし、ちょっとは元に戻った。 当たり前の日常に少しでも戻っていくことがとても嬉しかった。 格式高い神社じゃないからこそなのか、自分たちなりにやればいい、やれるように続けていけばいい。神様はそう言ってくれているように思った。 神様の写

家をつくります1 #変化を常に#まなびの人生設計図

移住して12年、空き家に住まっておりますが、いよいよ随分と傾いてきました、、、 このまま終の棲家にするためには、修繕をしないといけないのだけども、お金と時間をかけてもかけても、あまりしっかりとは改善されなさそう。 なにより未だに賃貸のままなので改修するにも二の足を踏む。 うちの場合は、移住するタイミングで選択の物件も時間もなく、「移住する」のときに必要な家と、「住み続けて年をとっていきたい」ときに必要な家は違っていた、ということでもありました。 思い出してみると、入籍、

若い志に過去と未来をみる #変化を常に#まなびの人生設計図

先日、起業からお手伝いをしている株式会社きく結びのはじめての決算、取締役会&株主総会があった。ひとつひとつ積み上げてきたものを1年でひとまず区切って振り返る会だ。 事業については、公式ホームページや、つくラッセルNews2021年12月号に掲載した記事を以下紹介する。 ある日、旭地区に孫ターンしてきた若い2人が看護分野で新しく事業を立ち上げたいと訪れてくれた。応援しないわけがない。 小さくはないが強い支配権をもたないように出資をして設立株主になり、取締役兼顧問という黒子的

40の手習い 太極拳はじめます #変化を常に#まなびの人生設計図

40歳になったときに考えたのが、ここから10年、20年後の私 家族の変化、仲間たちの変化、地域の変化にあわせていくこと これまでやっていることを育むこと ひとつ次の世代へ受け渡すこと 子どもの世代へつなげること わたし自身の内面に深くはたらきかけること そして、分かち合うこと 今からはじめて20年あれば体に馴染むかな。そこまでで、60歳。 ひとりでも鍛錬することができる心と体。受容力を高める。 60歳から最後までやり続けられる自然を身につけられるように。

呼吸と身体でお互いの感覚をあわせる   <あの日あの言葉シリーズ>2012年10月 #変化を常に#まなびの人生設計図

30歳のときに書いた新聞寄稿文、あの日あの言葉シリーズ。noteに蓄積するために遡って投稿しています。 すぃーちょん、すぃーちょん、ガチャガチャ、秋の虫の声が早朝の部屋を満たしています。里山の秋は、朝晩の冷え込みとともに、徐々に深まって、垂れた黄金色がなびいています。夏に旺盛に伸びた草を刈り、稲刈りの慌しさが続きながらも、冬に向かっているなぁと感じる今日この頃です。 私の住んでいる集落では、8月は先祖の御霊を供養する盆踊り、9月のはじめに農作物が風水害にあわないように風神

場が定まると、おのずから整う #変化を常に#まなびの人生設計図

子どもから大人になる。 生まれ育った家という空間と文化から社会にでていく。 私は昭和56年に生まれた。私が生まれ育った家は、小さな段ボールの紙器工場を家族だけでしていた。祖父、祖母、父、母、家のすぐ隣に工場があったので、朝昼晩といっしょにご飯を食べ、じいちゃんは5時くらいには相撲をテレビでみるので、5時半くらいにはご飯がはじまる。相撲をみて、野球をみて、時代劇をみてと、昭和だな~という家で育った。学校の友達の親はみんなサラリーマンばかりだったと思うので、まぁ「うちはうち」と