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くらしごと

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地域で暮らす、はたらく、生きる。
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#変化を常に

本業1本という幻想 #まなびの人生設計図

大工さんの一挙手一投足にキラリと光る技。男子なら一度は憧れた存在ではないだろうか。 実家は、家族のみ経営のダンボール工場だったこともあって、産まれた頃から現場で汗を流してはたらくことが身近だった。 M-easyをはじめたときも、単純に農業研修に通っていたトマト農家さんでさまざまな作業をして、お昼に仏盛りご飯をかきこむのが楽しみだった。このあたりから坊主頭にしたので幼少期からのあだ名「もじゃくん」は卒業して、「親方」というあだ名で呼ばれるようになった(笑) なにか一本で生

若い志に過去と未来をみる #変化を常に#まなびの人生設計図

先日、起業からお手伝いをしている株式会社きく結びのはじめての決算、取締役会&株主総会があった。ひとつひとつ積み上げてきたものを1年でひとまず区切って振り返る会だ。 事業については、公式ホームページや、つくラッセルNews2021年12月号に掲載した記事を以下紹介する。 ある日、旭地区に孫ターンしてきた若い2人が看護分野で新しく事業を立ち上げたいと訪れてくれた。応援しないわけがない。 小さくはないが強い支配権をもたないように出資をして設立株主になり、取締役兼顧問という黒子的

40の手習い 太極拳はじめます #変化を常に#まなびの人生設計図

40歳になったときに考えたのが、ここから10年、20年後の私 家族の変化、仲間たちの変化、地域の変化にあわせていくこと これまでやっていることを育むこと ひとつ次の世代へ受け渡すこと 子どもの世代へつなげること わたし自身の内面に深くはたらきかけること そして、分かち合うこと 今からはじめて20年あれば体に馴染むかな。そこまでで、60歳。 ひとりでも鍛錬することができる心と体。受容力を高める。 60歳から最後までやり続けられる自然を身につけられるように。

呼吸と身体でお互いの感覚をあわせる   <あの日あの言葉シリーズ>2012年10月 #変化を常に#まなびの人生設計図

30歳のときに書いた新聞寄稿文、あの日あの言葉シリーズ。noteに蓄積するために遡って投稿しています。 すぃーちょん、すぃーちょん、ガチャガチャ、秋の虫の声が早朝の部屋を満たしています。里山の秋は、朝晩の冷え込みとともに、徐々に深まって、垂れた黄金色がなびいています。夏に旺盛に伸びた草を刈り、稲刈りの慌しさが続きながらも、冬に向かっているなぁと感じる今日この頃です。 私の住んでいる集落では、8月は先祖の御霊を供養する盆踊り、9月のはじめに農作物が風水害にあわないように風神

場が定まると、おのずから整う #変化を常に#まなびの人生設計図

子どもから大人になる。 生まれ育った家という空間と文化から社会にでていく。 私は昭和56年に生まれた。私が生まれ育った家は、小さな段ボールの紙器工場を家族だけでしていた。祖父、祖母、父、母、家のすぐ隣に工場があったので、朝昼晩といっしょにご飯を食べ、じいちゃんは5時くらいには相撲をテレビでみるので、5時半くらいにはご飯がはじまる。相撲をみて、野球をみて、時代劇をみてと、昭和だな~という家で育った。学校の友達の親はみんなサラリーマンばかりだったと思うので、まぁ「うちはうち」と