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志に生きることのすすめ

自分はどんな人生が生きたいか。そんなことを考えたことはあるだろうか。
今回の記事では、なんとなく日々を過ごしている人や自分に軸がないと感じている人に対して、志に生きるということをすすめたいと考えている。

なぜこんな記事を書くのか

最初になぜ「志に生きるのか」という内容で記事を書くのかということに触れておきたい。

それは僕自身が、ずっと自分で選択することから逃げてきた人生だったからだ。

幼稚舎に合格した日から親に敷かれたレールの上を歩き、部活など自分で選択できるものを決める時も、何かと親や友人の意見に依存し、何をやるにもどこか他人事で本気になれない自分がいた。そんな自分を変えたのが「志」の存在だった。

志を持つことで、僕の人生は人に惑わされることなく、自分で選択する自由を得た。そして、人の声に恐れを抱き踏み出す一歩を留めることなく、自分の道を進む勇気を得た。

そんな自分の体験から、今回は「志に生きる」ことを勧めたいと思う。

志とはどの山を登るか

では、志とは何か。

それはどの山を登るかだ。

これはソフトバンク社長の孫正義さんの言葉で、孫さんは次のように言っている。

どの山を登るか決めないで歩くということは、彷徨うに等しい。
自分の人生を賭けたいものとは何だ?
自分は何を成したいんだ?
自分自身の為に、目指すべき山。これを決めてほしい。

目指すべき山を決める。

これこそが、志に生きることだ。

人生という長い道のりの中で、まわり道をしたほうが楽しいこともたくさんあるだろう。それでも、自分にとってのコンパスを常に持つことで、進みたい道を見失わずに生きることができる。

立ち止まり、自分の声に耳を傾ける

志とはどのように見つかるのか。

「自分には今それがなくて困っているんだ。」そんな風に思う人がいるかもしれない。

そんな人に試してみてほしいのは、「立ち止まり、自分の声に耳を傾ける」ということだ。

忙しい毎日の中で、少しだけ立ち止まり、自分に問いかけてみる。

「今やっていることはやりたいことか」
「本当にやりたいこととは何だ」

その中で聞こえてくる自分の声に耳を傾け、それが親や友人など「他人のため」なのか、世間体の為なのか、あるいは自分の内から湧き出る願いなのかをよく聴き分ける。

それができれば、自然と志は見つかる。

必ず自分の中に答えがあるから。

志とは洗練されていく

志は最初に決めたものを必ず貫き通さなければならないというわけではないと僕は思っている。

志を決めて歩んだ先に、何か違和感があるかもしれない。そんな時は、「その違和感は何を伝えようとしているのか」と自分に問いかけ、その違和感の正体を探ることで違和感を認識し、違和感のない新たな志を立て、進むと良いと思う。

その中で志は、より自分の底からの想いと結びつき、洗練される。

だから、必ずしも最初に決めた志を守ろうとしすぎて、自分を苦しめることはしなくてもいい。

最後に

今回伝えたかったことは「周りに振り回されず、志に生きよう」ということだ。

将来に不安になったり、
今が楽しくなかったり、
周りに気を使いすぎて自分を見失ったり、
そんな人達が志をもつことで少しでも明るい未来を描き、今を充実して生きられたら良いと思う。

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