マガジンのカバー画像

追悼文

83
運営しているクリエイター

記事一覧

【追悼文】鈴木健二さんについて思い出すいくつかのこと

去る3月29日(金)、元NHKアナウンサーの鈴木健二さんが逝去しました。享年95歳でした。 1952…

鈴村裕輔
1か月前
4

【追悼文】マウリツィオ・ポリーニさんについて思い出すいくつかのこと

3月23日(土)、ピアノ奏者のマウリツィオ・ポリーニさんが逝去しました。享年82歳でした。 1…

鈴村裕輔
1か月前

【追悼文】TARAKOさんについて思い出すいくつかのこと

去る3月4日(月)、声優で歌手のTARAKOさんが逝去しました。享年63歳でした。 1990年に放送が…

鈴村裕輔
1か月前
4

【追悼文】鳥山明さんについて思い出すいくつかのこと

去る3月1日(木)、漫画家の鳥山明さんが逝去しました。享年68歳でした。 『Dr.スランプ』や…

鈴村裕輔
1か月前
9

【追悼文】五百旗頭真先生について思い出すいくつかのこと

昨日、五百旗頭真先生が逝去されました。享年80歳でした。 政治学者、教育者としての五百旗頭…

鈴村裕輔
2か月前
8

【追悼文】小澤征爾さんについて思い出すいくつかのこと

去る2月6日(火)、指揮者の小澤征爾さんが逝去しました。享年88歳でした。 1959年に第9回ブ…

鈴村裕輔
2か月前
6

【旧稿再掲】過去を蘇らせ現在に伝えた赤松良子さんの「私の履歴書」

今日、元文部大臣で日本ユニセフ協会会長の赤松良子さんの訃報が発表されました[1]。享年94歳でした。 赤松さんが労働官僚として男女雇用機会均等法徳厚案と策定を推進したり、細川護熙内閣と羽田孜内閣で文部大臣を務めるなど、その事績については広く知られる通りです。 いわば戦後の日本における女性の社会進出の先駆となったのが赤松さんであり、日本社会の発展に貢献した功績は大きなものです。 ところで、赤松さんは2021年12月に日本経済新聞の連載「私の履歴書」を担当されました。 そ

【追悼文】八代亜紀さんについて思い出すいくつかのこと

昨年12月30日(土)、歌手の八代亜紀さんが逝去しました。享年73歳でした。 八代亜紀さんが19…

鈴村裕輔
3か月前
2

【追悼文】鈴木瑞穂さんについて思い出すいくつかのこと

去る11月19日(日)、俳優の鈴木瑞穂さんが逝去しました。享年96歳でした。 舞台、映画、テレ…

鈴村裕輔
5か月前
1

【追悼文】伊集院静さんを偲んで

本日、作家の伊集院静さんが逝去しました。享年73歳でした。 伊集院さんというと立教大学野球…

鈴村裕輔
5か月前
6

【追悼文】生田正治さんについて思い出すいくつかのこと

去る11月13日(月)、日本郵政公社の初代総裁であった生田正治さんが逝去しました。享年88歳で…

鈴村裕輔
5か月前
1

【追悼文】ユーリ・テミルカーノフさんについて思い出すいくつかのこと

去る11月2日(木)、指揮者のユーリ・テミルカーノフさんが逝去しました。享年84歳でした。 …

鈴村裕輔
6か月前
1

【追悼文】ティム・ウェイクフィールドさん

去る10月1日(日)、大リーグのピッツバーグ・パイレーツとボストン・レッドソックスで活躍し…

鈴村裕輔
7か月前
1

【追悼文】ステファン・グールドさんについて思い出すいくつかのこと

9月19日(火)、米国のテノール歌手ステファン・グールドさんが逝去しました。享年61歳でした。 ボストンのニューイングランド音楽院に学び、シカゴ・リリック・オペラなどで歌劇への出演を重ねた後に7年にわたってミュージカル『オペラ座の怪人』に出演し、再び歌劇界に活動の場を移すという経歴は、二つの分野の間の垣根が高く溝も深いことを考えると、委嘱と言えるものでした。 一方、歌劇の世界に戻ってからは、力強く、劇的な歌唱によりウィーン国立歌劇所をはじめとする著名な歌劇場でワーグナーの