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正しいことより、うれしいこと



どうやって、言葉を磨くのか?


「うれしい言葉」ってどんな言葉ですか?



こんにちは。
コピーライターの堀田です。


13年ぐらい、言葉を書いて電気代を払っています。
(勝手に定着したと思っています)



珍獣を愛でるように
ひそかに「コラム楽しみにしています」という
めずらしい方もいて(失礼)
「自分の話をもっとしてほしい」と言われたので

今回は、
正しいことより、うれしいこと
を書く時の信条にしている、
自分の話をしてみようかなと思います。


さて、


仕事柄、コピーライターは
どうやって言葉を磨いているのか?
という質問をよくされます。

いわゆるクリエイティブにおける
「インプット」や「鍛錬」のようなこと
なんですかね。


人よりも活字にふれている?
世の中のコピーを大量に見ている?
SNSを見てる?
とにかく書いている?

それは人並みにしてなくもないので
間違ってないのですが、
どれも正直、
ど真ん中ストレートではない気がしています。


なんでなんだろう。


そういえば
人生振り返ってみると、
フラれた時に一番言葉が深まっている。(笑)


ふと、
突然こんなことが頭をよぎりました。
なんでそんなこと思ったんだろう。


そういえば
長年寄りそった相手に
「あなたを捨てる」(原文ママ)と
真顔で言われて、別れを迎えたあの日に
(過程は聞かないでください)


後悔先に立たずですが、


ああしておけばよかった
忙しさにかまけてたな
こんな言葉を言わなかったから

そう思った時に、なぜか
言葉が身についていた気もする。


そうか、
これって


強く体験したこと
言葉を磨いているのかもしれない
と気づいたのは
本当に最近のことです。



はじまったら、終わる


またまた突然ですが
これ、母の唯一(?)の名言です。


すべてのことは始まったら
どんな過程や、どのような想いや
向き合い方をしても
いつかは終わる。


辛く逃げたいことも
楽しくあっという間の時間も
またとないチャンスも
盛大にスベって大失敗した提案も
生命も、人との関係も
人生そのものも


すべてははじまったら終わる。
そう解釈しています。


息子が20代後半、
世間的には遅くしてコピーライターになり、
何かを残さないといけないと
日々忙しそうにしているのを見かねて
なんとなく言った一言だったので、
母はまったく
意識していなかったかもしれません。


一期一会にするのか
流してそれっきりにするのか
覚悟をもって臨むのか
この関係に見切りをつけるのか

すべては自分の向き合い方で変わる。


そんなことを思って日々過ごしていくと
自然と、言葉の力が付いていくのではないか。


向き合うときに言葉が深まる

つまり

体験が言葉になる


もしかしたらそれに勝る
トレーニングはないのかもしれない
と、ある日思ったのです。


体験が言葉になる



そう考えると、僕と同じ考えをもたれている方
(珍獣という訳ではありません)
がいるとすれば

体験することに
できる限り時間とコストをかけて、
それにともなう
感じ方・反応をどれだけたくさん得られるか、
がとても大切になるのかもしれませんね。


具体的なことだと、


たとえば、
川の水は本当に冷たいとか
高いところ苦手って思い込みだったなとか
泣くポイントじゃない映画で自分は泣くんだとか
今日初めて会ったこの娘、すげー馴れ馴れしいとか(笑)


そういう他の人では味わっていない
オリジナルの感覚の記憶
自分にためるといいのかもしれない。


知識は意識
という言葉がありますが、
このスイッチを入れておくと
言葉の深さだけに限らず、
いいかもしれないなあと思っています。


そういえば

「月の満ち欠け」というお話を

前回しましたが


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前回投稿:余白を愛する
https://note.com/yusuke_hotta/n/n92dcaf208b61
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正しいことより、うれしいことを考えていく
仕事柄の言葉でいえば、
できる機能性より、
それができたベネフィット
を考えていく
そういうことなのですが


そんな時も、自分だけの体験が
たぶん役に立つなあ
としみじみ思っている次第です。


そんなことで、
母の言葉をもう一度
(あの素晴らしい愛をみたいに言うな)



はじまったら、終わる



終わる前にしておくことはないですか?



ではでは、今日はこのあたりで。



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