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高校サッカーの振り返り

高校を入学した当初は練習時間の短さに驚いていた。中学時代は4、5時間の練習だったのに高校では3時間ほどであり、それがどの高校も普通だったそうだ。自分が中学時代からがむしゃらに努力する人間であったため、高校の練習にも1、2時間前に来て練習をしていた。しかし今考えるとその自主練は意味のない自主練であった。むしろマイナス効果だったような気がする。

中学時代もそうだった。継続性、計画性がない自主練を続け、周りから努力家だと言われ、それだけに満足していた。だから中学最後の大会でベンチ外だった。そして高校1年生でもその経験を生かされず、1、2時間前には来ていたものの、壁あてで遊んだりするだけで、本当に無駄な自主練であった。

もっと考えるべきだった。自分がその時目指すところは何だったのか?、その目指すところに最速でたどり着くにはどうすべきかを。

今思えば、正しい努力を続けていたら、必ず先輩の試合にも出れた短期間の努力で。考えが甘かった。きっとみんな後悔しているはずです。勉強、部活で高校一年生からしっかりやっておけばなと。

このことから思うことは1年目が重要であるということです

大体の人は、1年目は、試合に出ることはないため気持ちが軽く、また重圧感もない。だから考えが甘くなる。ファーストインパクトの重要性も知らずに。そんな感じで高校一年生を終えた。

高校2年では、少し考えれるようになった。いつも練習前にやっている自主練は意味あるのかなと思い、ただ蹴って終わっていた自主練をやめ、自分が大好きであったドリブルの自主練に置き換えた。またシュートの練習も加えた。そしてスタメンの子が怪我をし、替えが自分しかいないので先輩の試合に出ることができた。そこでも少し考え、攻撃では貢献はできないとわかっていたので、守備を必死に頑張り、そして1試合を乗り切り、勝ちで終わることができた。しかし、その後の何試合かは出ることができなかった。

ここで先輩の試合で初スタメンとして出た時に今感じることはメンタルの重要性である。

その試合は、緊張のしすぎで自分の全力を出しきれずにいて、アピールすることができなかった。緊張などの感情の面の怖さを知った。この後の試合でも出れなかった要因は、実力不足でもあったがメンタルの弱さもあったと思う。


それからまた少しずつ考えれるようになり、自主練も自分の課題に対して取り組むようになり、続けるようになった。その結果先輩の総体で自らスタメンを勝ち取り、少しずつ貢献できる選手となっていた。

しかし、目標に達したことからかさらに上の目標を立てず、現状に満足しており、その結果、怪我を繰り返し、後輩にスタメンをとられ、また試合に出ても足を引っ張ってばかりだった。そして先輩の選手権にも出ることはなかった。そこでまた考え、

今まで自分は何をしていたのか、前は出れたのになぜ出れないのか、自分が情けなかった。

そして先輩が引退し、自分が最高学年となり、スタメン争いが始まった。徐々にまた考えれるようになっていき試合を意識した自主練を取り入れた。その結果自主練で想定してたことが試合で起き、活躍することができ、スタメンを勝ち取ることができた。しかし、迎えた新人戦ではチームとして県大会にも出場することができなく、自分が足を引っ張っていた。バック、中盤は強豪相手にも戦えていたが自分が任されていた前線は、後ろからの連携を崩してしまうなど戦犯ばかりで、結果負けてしまった。自分がもっと上手ければ勝てた試合だった。試合には負けたが2週間後に敗者復活戦があった。しかし、そこでも自分は活躍できず、途中交代で終わり、自分より後輩を出した方が勝てる可能性があった試合だった。そこで自分の弱さを痛感し、もっと上手くなってやると。そこからは、

今までとは違いしっかりと考え、チームに何が足りないのか、何を求めているのかを分析し、後悔のないようやれることはやろうと何事にも全力で取り組もうと決めました。また自分の出す全力が本当に100%の努力なのかを確かめるため、他人の意見を取り入れることや、ネットの情報、有名人選手の努力話を見まくって、自分の全力はどの程度かを確かめていました。

その結果自分の全力は、ちっぽけなもので乾選手や柴崎選手などは自分の基準を遥かに超えておりました。それからは、苦しい時期が何度もありましたが徐々に上手くいくようになり、スタメンとしても定着し、リーグ戦、練習試合では勝ちの数が増えていきました。

しかし、高校3年となった時にはコロナの影響で練習、試合が無くなり先の見えない日々でした。ニュースでは総体、選手権はなくなるかもしれないと書いてあり、希望が絶望に変わったのを覚えています。本当に悔しかったです。しかし、そんな中考える時間が増え、

自分の将来について、今どうすべきか、サッカーへの思いなどさまざまなことを考えることができ、自分を変えようと思いました。

そこからは総体、選手権があると信じ、自主練を毎日し、誰よりも努力をした自信があります。そして、練習が再開し、総体の代替試合も開催が決定し、結果としては県ベスト32で終えました。その大会を通じて感じたことは、

努力は裏切らないということです。

コロナ期間のときには、受験勉強とサッカーを両立させなければいけないことなど自主練を何度も諦めそうになりました。ですがグッと堪え継続をし続けました。また練習が再開した後にも、1日1日の練習を大切にし、誰よりも努力した自負がありました。その結果3試合連続2ゴールで合計6ゴール決めることができ、努力は裏切らなかったと感じました。また県ベスト32で終わってしまったのは、

自分の自主練、練習に対しての取り組み方、日々の態度、準備などが足りなかったのだと感じています。


その後は、選手権に向け、もう一度スタートしました。

今思うとこの時に自分は燃え尽き症候群になっていたのだと思います。心のどこかで、今の自分の立ち位置、スタメン定着、総体での結果に満足していたのかもしれません。

練習、試合では文句を言う数が増え、また練習での意識でも欠けている部分が多く、弱かった自分を完全に消し去っていました。そのことについて言われたことがあったし、気づいてはいたが、なぜか直すことができなかった。今もそれは、続いており直すことはできていない。

燃え尽き症候群や満足感といったメンタリティは早く気づき癖付く前に直すべきだと分かった。

そんな日々が続き、自分の準備不足から受験勉強に追い込まれ、サッカーに対しての時間がなくなっていった。でもできる限りのことはやろうと決め、サッカー以外の面にも少しだが目をむけゴミ拾いを心がけた。そして選手権では、ハットトリックすると宣言したがまさかの自分が3点外してしまい負けてしまった。完全に自分の準備不足、実力不足だった。ゴミ拾いなどのサッカー以外の面ではしっかりしており、

神様は自分の宣言通りの3点のチャンスをくれたが、全て外してしまった。運は味方してくれたが、自分の実力が伴っていなかった。

こんな後悔を残したまま僕の高校サッカーは幕を閉じました。

この後悔を胸に高校生活、サッカーで培った力を全面に出し、強豪の大学サッカーで新たなチャレンジをし、何事にも限界に囚われずがむしゃらに努力し、新しい道を作っていきます。

これからもどうぞよろしくお願いします。

次回は、この記事にも何個か書いてあった高校サッカーで後悔したこと、学んだことを詳しく記載していきたいと思います。

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