長男の呪縛に気づいた話②
僕が働いている会社は老舗の会社で創業してから今年で126年目。
就職が決まって、会社名を家族に伝えた時に「その会社の会長が亡くなった時には、家の前に数千人の人が行列をなして参列してたんやで」と伝説のように話してくれたのは、祖母。福井市内で、祖母の年代であれば知らない人はいないといった感じの会社です。
そもそも県内の企業に就職することになった理由としては、そもそも県外の企業に就職しようとも思っていなかったわけで、それ以外の理由はない。
大学院の専攻は「原子力エネルギー安全工学」、研究室は「核医学」
余談として、核医学で何してたか具体的にいうと
放射性物質の薬を自分たちで製造して、あらかじめ癌細胞を植え付けて数週間育てたマウスにその薬を投与し、放射線を検知する装置でマウスを観察。癌細胞に薬が上手く取り込まれているかを評価することで、正常細胞には悪い影響を与えずに、癌細胞だけを狙える抗がん剤を使った新しい治療法ができることを目指す
と、ざっくりこういった感じ。
専攻で全般知識として学ぶ内容は、もっぱら核エネルギーとか、原子力発電所のこととかだったので、研究室の友人の就職先は、そのほとんどが電力会社や、原子力プラント設計会社で、まれに医学の道に進む奴がいたくらい。
そんな中で、県内の中小企業に就職することにした僕は、教授陣から見ても結構違和感に見えていたと思う。
この時の思考回路としては、「やっぱり長男だから県外へ出て行く選択肢はないよな。」だったと記憶してるし、親からもそれを望むような発言がめっちゃあったような記憶もある。
〜入社〜
さすが創業118年の会社(入社時)
①お中元の時期とお歳暮の時期には、社長宅の前の道路に、社員達の車が並ぶ。奥さんがいれば奥さんと一緒に、独身だったら親と一緒に、社長宅へ伺い挨拶をして、品物を渡して帰る。
②年末になると選抜された若手社員が会長宅に出向き、窓拭きや、床の水拭き、日本庭園の溝に敷き詰められている玉砂利を全てすくい出して洗浄するといった大掃除イベント
③1月1日の午前中、社員全員が会長宅の大広間に集結し、一緒に新年の仏壇参り。その後創業家一族に対して、社員が一人づつ新年の挨拶。セリフは大体決まっていて「明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。新年もよろしくお願いいたします。」
印象が強そうなものを軽く3つあげてみたが、なんとなく会社の雰囲気がわかっていただけるかと思う。
そういう昔ながらの古い慣習が今でも残っているので、やはり古い価値観が良くも悪くもしっかり継承されている。
そんな古い慣習のことを我が家で話すと、あの祖母(※長男の呪縛に気づいた①参照)が「いまどきそんなことしてる会社あるんやな」と言うんだから、相当なんだと思う。
〜東京へ転勤〜
入社して2年が経った頃に東京営業所へ転勤。東京の営業所は総勢でも10名以下の小規模で、割と自由な雰囲気。福井本社の雰囲気とは対照的。そして本社の長男率高い現象とは異なり、次男率が高い。
福井にいなきゃならない理由がないので、本人的にも、会社的にも、出先の営業所に配属している/させている方が都合が良いからだと思う。
出先の営業所で勤務している人間の特典としては、社長宅にお中元やお歳暮を持っていく必要がなくなり、会長宅への掃除にいく人員からも除外される。
ただ、1月1日の新年の挨拶には行かなければならない。なぜなら、実家が福井にあるから。要は、年末年始は福井にいるのだから、出れるでしょ?ということ。
そうは言っても、ここ数年で新入社員を中心に1月1日の会長宅訪問や、その他の古い慣習に対するレジスタンス勢が出てきて、社内で声を上げたことを発端にだんだん社員全体の意識も変わってきている。なので、今は前述の①②③に関して言っても、僕が入社した当時に比べ、参加人数は半数ほどに減っているように思う。
かくゆう僕も全ての古い慣習を否定するわけではなく、会長宅の仏壇参りの際に学んだ「座布団の縫い目の位置を仏壇側には向けてはいけない」など、礼儀・礼節という意味での学びは、少なからずある。
とはいえ、旧態依然として続いてきた慣習・価値観を現代に合う形でアップデートしなければならないことは確かで、これまで中途採用者や県外出身者が入社しても数年ほどで、もれなく辞めていってしまっていたのだが、古い価値観・長男主義の考え方が辞める要因にもなっているため、ここでしっかりアップデートできなければ、今後一気に進むDXや多様化といった波を乗りこなせずに衰退していってしまうのだろう。
書く予定の今後の流れはこちら↓↓
・XSCHOOLの話
・長男の呪縛に気づいた話
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?