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書評

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2020年12月の記事一覧

書評 #19|一人称単数

 村上春樹の『一人称単数』は話者によって紡がれた短編集。思考のあくのようなものをすくい取り、煮詰めるとこういう文章になるだろう。  著者の作品には「表裏」が存在する。文体は軽やかでありながら、感情表現は起伏に富む。人間の言葉を話す猿など、極端な展開を設定しながら、日常の趣がそこにある。起承転結をそのまま受け止めても、物語として充分に成立する。  しかし、自分自身の過去や現在、果ては未来につながり、感情を呼び起こす力も持つ。ノスタルジー。後悔。感動。期待。それはまるで、読者

書評 #18|半沢直樹 4 銀翼のイカロス

 ギリシア神話に登場する「イカロス」。蝋で固めた翼で空を翔ける、技術と勇気の人。一方で太陽へと接近し過ぎ、蝋の翼が溶けて墜落死した人でもある。素晴らしい技術も、そこに宿る人間の精神によって運命は変わる。  『半沢直樹 4 銀翼のイカロス』では経営不振の泥沼にはまり込んだ巨大航空会社を舞台に、多様な人間たちの欲が交差する。鬱蒼とした森の中を「正しさ」で切り開いていく半沢直樹。「正しいことほど、強いものはない」。その言葉を再認識させられる。  作中では「手段の目的化」が眼につ

書評 #17|コンビニ人間

 村田沙耶香の『コンビニ人間』は個人と世界との摩擦の物語だ。大多数の価値観によって形成される「普通」。敵と味方。承認と拒絶。淡々と描かれる、感情の冷戦。それは決して特別なことではない。それは眼前に存在する日常だからこそ、読者の心にも重く響く。  コンビニバイト歴十八年。彼氏いない歴三十六年。主人公の古倉恵子は世間の「あるべき姿」からは離れた位置にいる。自身と世間の常識との乖離。本心を隠し、間合いに注意しながら生きる日々。極端ではある。しかし、「世界にはまらない感覚」には少な

書評 #16|続 横道世之介

 大学を卒業した横道世之介の一年を描く、『続 横道世之介』。大学という庇護は消え、荒波が強まる社会。前作の空気感をまといつつ、その中を駆け抜けていく世之介の物語。  何かに真剣に打ち込む。夢を実現させるため、必死に努力する。そういった汗のようなものは、世之介の日々からは感じられない。客観的に捉えるとすれば、バイトで生計を立てている彼は決して強い立場にはいない。フリーランスという言葉が定着していない当時、その風当たりは一層に厳しかっただろう。  しかし、切迫した描写は皆無だ