ち。

※血の話なので苦手な方はお戻りください。

先日、十数年ぶりに献血をした。職場にはたまに献血車がやってくるのだが、なかなか体力的精神的な余裕がなくこれまではいつも見送っていた。今回は人が少ないからとプッシュされ、久々にやることになった。400mlの全血献血である。

十年一昔というが、十余年以上も経つといろんな仕組みが更新されている。最近は生体認証(指紋)で個人識別していたり、最初の血液チェックも指先に針をぱちんと刺す方式に変わっていて進化を感じた。昔は献血手帳手書きだったのに。
更にびっくりしたのは、ずっと前の私の献血履歴もすべてきちんとデータベース化されて残っているということで、その頃は名前も住所も違っていたのだが、いくつかの事項の確認で同一人物として認識してもらえた。一体何年データを保存しているのかわからないが、すべて履歴を追えるというのはすごい。とっくに記録はなくなっていると思っていた。

私が初めて献血したのは、高校生の時だった。クリスマス間近の日、デパートの広場に献血車がやってきていて、私は友人Yと二人学校帰りに立ち寄り、200mlの全血献血をした。動機は大したものではなく、飲み物とお菓子がもらえるときいて、だった。そしてその頃は血や医療器具を間近に見られるということにも少し興味があった。
最初の献血の感覚はとても良く覚えている。消毒して、ぷすりと刺して、固定。点滴もやったことがなかったので、初めて管というものに繋がれた。その日は寒くて、体の表面温度が少し冷えていたためだろう、腕にテープで固定された管(中を己の血液が流れている)がとても温かいことに妙に感激した。そうか、私の血は温かいのか、と思った。体温というものを自覚した瞬間だった。
Yも、終わってから似たようなことを言っていた。じっと管を眺めて、自分の血は確かに赤いのだなと思ったらしい。
確かチョコパイのようなお菓子とジュースをもらって食べて、帰った。

その後学生時代に何回か献血した。就職後は疲れていることが多くて、今回はかなり久々の献血になった。
最近は体調回復も進んでいたためか、体は意外と大丈夫だった。貧血を起こすこともなく、今のところ調子も悪くない。血を抜けるだけの体力があり、しばらく薬を飲まないでいられているということは、貴重なこと、有り難いことで、今回無事に献血ができたということは、紛れもなく健康であるということなのだ。なかなか健康を自覚することはないものだが、献血によって、そうか、つまり私は今健康なのか、と思った。
通常時には感じにくい生きている実感を得るという意味では、献血はリストカットにも近い感想を持つかもしれない。(はじめからそれを目的としてはやらないほうがいいのだろうけど。)
とにかくまぁ、献血は、やるとなんだか、自分であって自分でない肉体と細胞を自覚して不思議な気持ちになる。体から離れているのに、生きている血。誰かの中で生きていく細胞。
いってらっしゃい、頑張って。とでも送り出そうか。

※ちなみに今は管を丸見えにはしないようで、腕にペーパータオルのようなものをかけられた。私は注射でも採血でも針も管も眺めている方なので、この点は少し残念だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?