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参禅のススメ

私は、今まで、あまり人に参禅を勧めようとは思いませんでした。自分の修行で手一杯だから、ということもありますが、なかなか賛同してくれる人はいないものだ、と諦めていた面もありました。

私は、出家する前は、川崎市で働いていたのですが、25歳頃から総持寺の日曜参禅会に通っていました。2年ほど、熱心に通いました。しかし、さっぱり腑に落ちませんでした。やはり偉い老師の話を聞かなくてはいけないのかも知れないと思い、得元老師の眼蔵会、鉄牛老師の参禅会、余語老師の参禅会などウロウロしていました。発心寺の摂心にも一度参加したことがあります。それでもモヤモヤするだけでした。その一方で、仕事で大きく行き詰まることがありました。

レーザー専門のベンチャー企業で働いていたのですが、当時、銅蒸気レーザーの開発をしていました。銅蒸気レーザーで色素レーザーを励起して、赤色のレーザーを作り出し、それを医療用としてがん治療に使おうという話でした。ところが、その時、アメリカがウラン濃縮の方法をレーザー法だけに絞って開発するという決定をしました。この銅蒸気レーザーを使うのです。ウラン濃縮には、いくつか方法があって、日本は、主に遠心分離法に注力していました。アメリカがレーザー法だけに絞るという決定は、青天の霹靂で、日本は大慌てになりました。国家プロジェクトが動き出すかも、という状況になったのです。会社は、医療用のレーザー開発だというわけですが、それはそのままウラン濃縮に関わる技術なのです。原発には関わらないでほしいと会社に要望しましたが、一社員のそんな要望に意味があるようにも思えませんでした。

そして、実際に銅蒸気レーザーを作ったのですが、これは、緑色のレーザーです。大きな円筒の中で高電圧パルスを流し、銅が溶ける温度まで加熱するのです。銅が溶け始めると、銅蒸気が高電圧パルスで励起されてレーザーが発振を始めるのです。初めてギラッとレーザーが発振し始めた時には、感動しました。そして、どんどん出力が上がり、100ワットくらいまで出たのです。それは、もう、波動砲のような感じです。

原発に関わるような技術で倫理的に疑問があるのに、実際にやってみると、とても面白くて興奮するようなものなのです。
その時、はたと気がついたのです。第二次大戦の時、マンハッタン計画で原爆を開発した研究者たちと同じパターンにはまってしまっている、ということです。レベルが全く違う話ですが、パターンは同じで、原爆を開発した研究者たちの開発に対する熱狂と成功した時の興奮、そして、それが実際に広島・長崎に落とされて何万人もの人々を瞬時に殺してしまったことの後悔の苦しみがリアルに感じられたのです。
もう仕事を続けられなくなりました。

坐禅は、相変わらずモヤモヤしていてハッキリしませんでしたが、これこそ本当に人生を懸けるに値する道なのではないか、という思いはずっとありました。会社は辞めてしまったので、もう坐るしかない、と思って、アパートに立て籠もって独坐していました。2、3ヶ月、そんなことをしていましたが、やはり、我流でやっても埒が明かないのですね。簡単に道を踏み外してしまう。
ある時、ふとバードウォッチングをしてみたくなり、新宿のヨドバシカメラへ双眼鏡を買いに行きました。そして、どういうわけか、ヨドバシカメラではなくて紀伊国屋本店へ行って、本を物色していたのです。宗教書のコーナーに少林窟道場の二冊本の参禅記が平積みされていました。ちょうど出版されたところだったのです。パラパラっと立ち読みして、びっくり仰天しました。禅の黄金時代のような修行をしている所が、今現在の日本に本当にあるんだ、ということが分かったからです。
昭和天皇崩御の直前でした。

そして、平成元年の春に少林窟に参禅しました。少林窟参禅の後、これこそ間違いないと確信したので、こっちへ引っ越して来て、道場に通参することにしました。師匠が、それならば、道場に小屋があるから、そこに住めば良いと言ってくれたので、道場に住まわせて頂くことになり、更に、出家させて頂けることになった次第です。

川崎を引き払う前に、総持寺の日曜参禅会で仲良くして頂いていた先輩諸氏に少林窟の参禅記を配って来ました。一読すれば明らかだ、と思っていました。ところが、誰も反応しませんでした。広島までは遠いということもあるのかも知れませんが、もっと本質的なところで、居心地の良い今の自分の状況を壊したくないということがあるのかなと思いました。
私が明らかに良いと思うことが、必ずしも他の人にはそのように思えないものなんだな、と痛感しました。これが、他の人に参禅を勧めようと思わなくなった理由です。

説明が長くなりましたが、その考えを変えるべきだと思うようになりました。
南嶽磨磚の話で深く思うところがあったのです。師匠がわざわざ出向いて行って、身を以て修行者の間違いを正し、正法を示す。そのように人に示し続けることは止めてはいけないのかも知れないと思うのです。
私は出家して30年になりますが、その間、近隣のお寺を見ていて、「寺の息子なんて、坐禅には関心がなくて、菩提心がある人なんていないんだな」と思っていました。ですから、参禅を勧めようとは思いませんでした。しかし、それは間違いだったな、と思うようになりました。
何かのきっかけがなければ、隣に座っている人とも縁無く分かれることになります。縁が生まれるには、何かの働きかけが必要なのです。

マインドフルネスというものが広まっているようですが、その要点を見たら、全く少林窟の坐禅の要点そのものでした。マインドフルネスは、曹洞宗の坐禅から宗教性を取り除いたものらしいので、坐禅の技法そのものであるのは、当然なのでしょう。しかし、それならば、マインドフルネスというのは、非常に実行が困難なはずです。
宗教性という援護があって、指導者がいて、しかも1週間という時間をかけて、初めて「今」に気づくことが可能になります。これは人間の脳構造に由来するものらしくて、なかなかショートカットは難しいようです。
この「今」に気づくことが出来れば、坐禅もマインドフルネスも正確に指導することが出来るはずです。これはスキルですから、誰でもやれば出来るし、僧たる者は皆、やるべきものだと思うのです。

問題は、頭の中のこの脳構造にあります。その中に、言語レイヤーのような階層があるようです。色受想行識の想行識は、この言語レイヤーの活動です。仏教は、この言語レイヤーを詳細に分析しているわけです。
何故なら、人の悩み苦しみというものは、この言語に起因していて、この言語レイヤーでの混乱に他ならないからです。(これは、私の思いつきの表現であり、少林窟でこのように教えているわけではありません。)

この言語レイヤーからの離脱が第1歩になります。「私」そのものが、この言語レイヤーに存在するので、そこからの離脱は極めて困難ですが、ポイントを押さえてやれば、誰でもやれる話なのです。しかし、極めて高い精度を要求され、少しでも的外れな努力は実を結びません。少林窟で言うところの着眼が重要なのです。

私は、平成14年に瑞世させて頂きました。板橋興宗禅師が総持寺を下りられる少し前でした。板橋禅師と弊師は縁があったので、手紙を言付けてくれていました。すると、その夜、禅師様が、部屋へ呼んで下さり、色々お話して下さいました。

「坐禅で身を立てるようにするんですよ。檀家の無い寺で、3年くらいは托鉢して苦労する必要がある。決して法事葬式を当てにするな。何故なら後2、30年で既成仏教は大変革に見舞われる。葬式は葬儀社がやってしまい、寺に頼らなくなる。葬式をしない人も増えて来る。漫然と葬式法事をしているような寺は収入が激減する。その一方で自殺他殺、心を病む人は激増する。だから本物は残るようになる。鎌倉時代に本物が出て今まで続いて来たわけだが、その耐用年数も過ぎてしまった。本物とは何か。本物が集まるということです。それこそ一個半個で良い。先に広めようとするのではなく、自ら坐禅を好んで坐禅を修することです。そうするとそういう人が集まって来る。打算的に商売のことを言っていれば、そういう人が集まって来る。請われたら話でも何でもすれば良い。」
(平成14年2月、板橋興宗禅師の御垂示。幽雪聴記)

こういうお話をして下さったのです。世の中の動きは、言われた通りになって来ました。曹洞宗を含めた既成仏教教団は、泥舟みたいなものだと思います。生き残り、更に世の光明となるためには、どうしても坐禅の要点を明確に修得する必要があります。それは、本来、僧堂で教えられているはずのものですけど、どう見ても、そのような状況にあるとは思えません。結局、「形」だけになってしまっていると思います。
以上、有為の若き僧たちに参禅を勧めようと思い立った次第です。
                            合掌   
  令和元年9月1日

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