見出し画像

やりきれない大人はこれからも量産されるけど、誰も責任はとってくれないから自分でケツをふくしかない

こんにちは。
子どもにお金にまつわる話をしている、ゆうとすです。
本日は、「やりきれない大人はこれからも量産されるけど、誰も責任はとってくれないから自分でケツをふくしかない」という結論が見えているテーマついてお話したいと思っています。

ある会社の新入社員の方と飲む機会があって、最近どうよ?ということで対話をしたが、やりきれなさを感じているらしい。

・自分が恵まれているけど、同期入社の子はメンタルを抱えている

・ずっとこの仕事を続けていく自信がない

・繁忙期は土日も休みが取れないことがある

新入社員とはいえ大企業なので、それなりのサラリーはあるので生活自体に不自由があるわけではないが、もやもや感を抱えているのであろう。

全てがある程度満たされている状態なので、これ以上を求める必要がないのだと思う。

テレビが一般家庭にはない時代は、テレビを買うためにあくせく働く必要があった。

人間は何か不足がないとやりきれなさを感じるのだと思う。
穴があるから、補いたくなるように、過不足がないことことによる弊害はありそうだ。

たぶんこれからもやりきれなさを抱えて新入社員は増えていくのだと思う。

ただ周りの他人がやりきれなさを解消してくれるわけではなので、自分のケツは自分で拭く必要があると思っている。

具体的には、
自分が夢中になれるものに情熱を注いだらいいと思う。
90年代の洋楽が好きでたまらないのであれば、好きなアーティストに会いに行ったり、現地の土地や風土に思いを馳せたりする。
そこから、インスピレーションを受けることもあるし、何か別のベクトルが自分の中に生まれるかもしれない。

何が言いたいかというと、体験が足りないのだと思う。
過不足がないのであれば、やりがいや、いきがいを探せばいいのである。


今日はこの辺で。、

それではまた!



サポートいただいたお金は子どもへの教育に充てさせていただきます。 読んでいただいて、ありがとうございます!