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思考における「連鎖」が、なぜ凄まじい破壊力をもたらすのか(第25回)

どうも、ゆうせいです。


考察noteをできる限り毎日…いや、2〜3日に1記事更新したいと思いつつも、書こうとしているテーマについて思考する時間がまだまだ長過ぎて、今ようやくフリック入力に勤しんでいるところだ。

(今日はiPhoneから文字入力している)

さて、今回のテーマは「連鎖」。このワードを聞いて思いつくものが幾つかあるけど、どういう構成で書いていこうかしばらく考えてから、とある勘違いをしていることにはたと気がついた。

ジラ谷さんのアウトプットnoteに、完全に答えが記されているにもかかわらず、だ。


その辺りも含めて、思考における「連鎖」の破壊力の凄まじさを書いていく。


それでは本編をどうぞ。


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まずは、ジラ谷さんが唱えている「連鎖」の定義を見てみよう。

「コアとなる物が中心にあって、そこを起点としながら関連性のあるものを生み出していく」

ジラ谷さんのアウトプットnoteより


つまり何を伝えたいかというと、例えば何かしら問題点がある時に、解決策を一つ出すだけでなく、二つ三つと関連した複数の策を出していく、みたいな感じだ。


油で汚れたキッチン廻りをキレイにしたい時、台拭きを使って水拭きをするのか、スポンジを使うのか、食器用洗剤で油を落とすのか、油落とし専用の洗剤を使うのか。

キッチン廻りをキレイにするだけで、パッと思いついた4つの解決策が関連性を持って出てきたので、思考の「連鎖」ができている状態だ。

しかも、水拭き→スポンジ→食器用洗剤→油落とし専用洗剤、と関連性はもちろん解決策の質も上がっている。

ここに、思考における「連鎖」の破壊力がもたらされている。


このように「連鎖」とは、問題点に対していくつかの代替案を出したり、思考においてはいくつかの切り口、具体例、言い換え、比喩、視点、角度など、一つの事象を何度も擦って異なるアウトプットをすることなのだ。


しかし、私はジラ谷さんのnoteを読んでいる途中で、大きな思考のすれ違いを脳内で起こしてしまった。

例えば「インプット」に関して記事を書いたとしたら、「もっと他の考え方はないか」、「ついでにアウトプットについても思考してみよう」みたいな感じで、その事象から連想されるものを、どんどん取り込んでいくのだ。

ジラ谷さんのアウトプットnoteより


・もっと他の考え方はないか
・ついでにアウトプットについても思考してみよう

この文言ばかりが頭をめぐり、「もうやってるやん」「連鎖って別の具体例とか言い換えができれば良いんだ」と、単発で思考を終わらせることで成立すると思い込んでしまったのだ。

文章などのコンテンツを生み出した時に、「良いものが出来た!」と満足して単発で終わらせてしまうのではなく、「これを軸にしてさらにほかの物を展開出来ないか」ということを常に思考している。

ジラ谷さんのアウトプットnoteより


このようにしっかりと明記してあるのに、単発で終わらせて満足してしまっていたのだ。

これは、この考察noteを書いている際に「1記事1テーマで書き切る」という自分に課したルールみたいなものに縛られ、「もっと他の考えはないか」という発想を持てなかったが故の過ちだ。


しかし、先ほどキッチン廻りをキレイにする複数の解決策が提示できたように、思考の連鎖について理解できた。

なので、他の具体例を挙げて連鎖がもたらす破壊力について、もう少し書いていく。


「連鎖」と聞いてパッと思いつくものにぷよぷよという落ちものパズルゲームがあるけど、ジラ谷さんも同じ具体例として挙げていたので、別のものを考えていこう。

(この思考がすでに連鎖になっていることを小声で伝えておこう笑)


「ストII」などの格ゲーはどうだろうか。コマンド入力をして技を連続的に出し、対戦相手にダメージ連打できたら「コンボ」が発生する。

格ゲーが上手い人は、このコンボを狙って、この技の次はあの技、次にあの技とコンボ=ダメージの連鎖に繋がるように連続的に技を出している。

コンボが繋がるほどダメージが重なり、対戦相手の体力を大きく削ることができる。

連鎖がもたらす破壊力の凄まじさだ。


映画「リング」にも連鎖なる現象が登場する。

貞子の呪いがかけられた「呪いのビデオ」を観た者は、一週間後にその呪いによって他界する、というものだ。

ビデオを一人で観ようと複数人で観ようと、観た者は全員、である。

また、呪いのビデオを観た人がそのビデオをコピーして別の誰かに見せた場合、最初に観た人は呪いが解かれ生き残る。

つまり、観た人がもれなくビデオをコピーして誰かに観せれば、呪いは連鎖して多くの人が呪われる仕組みになっている。

母数が増えるほど、呪われる人が増えていくという恐ろしい連鎖である。


このように、連鎖の凄まじさは様々な事象でも説明ができ、思考の連鎖についても同じことが言える。

キッチン廻りの掃除でも思考の連鎖により、4つのアイディアが生まれ、連鎖によりアイディアが洗練された。

ということは、例えば前回のテーマ「思考の源泉を巡る」について思考を連鎖させれば、推し発信者の思考を辿ったさらに先に、連鎖させた思考が新たに生み出され、しかもより洗練された思考となるはずだ。


もちろん、そうできるまでにたくさん思考を重ねる訓練が必要だし、思考を連鎖させるよう意識して思考する必要がある。

これは、ジラ谷さんの元記事にも明記してある。

この連鎖の感覚を掴むことが出来れば、かなり自分の軸を広げる事ができると思う。最初は意識して広げていかないといけない

ジラ谷さんのアウトプットnoteより


これを読んだあなたも、一つの概念、一つのテーマを一度だけ思考するのではなく、何度もこすって思考の連鎖を引き起こし、より洗練された思考、または誰も思いつかない繋がりを生み出せるように、脳に負荷をかける修行をしてみてはいかがだろうか。


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いくつか具体例を挙げて、思考の連鎖を意識して書いてみたけど、どうだったかな?

もっと予想外の、「それは思いつかねえわ!」くらいの発想が出てきたら面白いんだけど、まだまだ思考の修行が足りないようなので、精進していこう。


それでは今日はこの辺で。
ゆうせいでした。

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