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最強の思考法「自分ごととして考える」についてのお話(第20回)

どうも、ゆうせいです。

やっとこさ、20回です(遅すぎるやろ)。


今回のテーマは「自分ごととして考える」。記事タイトルにも書いたけど、コレって情報発信をする上で最強の思考法なんじゃないか?と感じている。


私の脳内で、これまで読んできたジラ谷(@jiratani_world)さんのアウトプットnoteの記事同士が繋がっていく。毎回のテーマについて考えては書き、考えては書いていくほど、一人の人間の思考は、別のテーマを扱っているけど根底では繋がっているんだな、ということに気がついたのだ。


その土台ともいえるのが、「自分ごととして考える」という思考法
なぜこの考えが最強なのかを、これから書いていく。

それでは、本編をどうぞ。


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情報発信において「自分ごととして考える」のが、なぜ最強なのかを述べていく前に、ジラ谷さんの記事の中でオススメなものを一つ紹介しよう。



有料記事だけど、メモの取り方や活かし方を例にして「自分ごととして考える」ことの重要性を、これでもかと説いているので、ぜひ読んで頂きたい。

この思考を手に入れないと、せっかく取ったメモの存在を忘れて自ら腐らせてしまうし、写経はただの複製物と化してしまう。


私は、今でこそジラ谷さんのnoteを「自分ならどう思うか」を常に考えながら写経し、こうして考察noteも書けるようになったが、以前は脳に全く負荷をかけずに写経をしていた。

脳死、無思考の写経は何枚もの契約書に同じ判を押し続けるが如く、簡単に同じ文章を複製できる。

ただ、文字を書き写すのに時間を要するので、

・時間がかかる
・自分が考えて出したもの(オリジナル)にはならない

という、得るものが微塵もないただの時間潰しに成り下がってしまっていたのだ。


もしこれをやらないと、「おおーなんかいいことを言ってるなあ。良いことを知れた」という関心だけで終わり、自分のモノとして蓄えられない。このままでは自分の中に使える素材が貯まっていかず、ただの娯楽として他人のコンテンツを消費することになってしまう。

ジラ谷さんのアウトプットnoteより


ジラ谷さんの元記事にも書かれているが、コンテンツを消費して「良いこと知れた」「楽しかった」と感じるだけでは、自分ごととして捉えていないため、良いと感じた情報が脳内にストックされることはない。


コンテンツを消費する時には、常に「自分ごととして考える」ことをすれば、このちょい足し考察noteを20記事かけるくらいには、思考を鍛えて独自のアウトプットをすることがてきるようになる。

「他人はこう書いているけど、自分ならこの情報をどう活かすか」

ジラ谷さんのアウトプットnoteより




シンプルな思考だが、発信者としてインプットとアウトプットを繰り返し、独自のコンテンツを生み出すにはとても重要な思考法なのだ。




「自分ごととして考える」ことの恩恵は他にもある。

最初は興味がなかったが、体験してみたらその良さを感じてサウナにハマった、というジラ谷さんのアウトプットnoteの話だ。


この記事はすでに私も考察noteを書いているので、そちらのリンクもついでに貼っておこうかな。


私は、ジラ谷さんがサウナにハマった話について深掘りし、考察noteにはこんなことを感じて書いていた。

そのものの良し悪しを決めるのは自分自身だし、その感覚は自分に合うか合わないか、を気づくための重要な行為

私のちょい足し考察noteより


どれほど興味が湧いたものでも、自分自身で体験して「合わないな」「つまらないな」と感じたら、秒でそのものへの興味は失われる。

このことは、自分の発信の方向性にも通ずる話だと自身の考察noteにも書いたことだが、それが自分に合うか合わないかを判断するには、かなり冷静に考えなくてはいけない

お金を稼ぎたい、人生を変えたい、など現状の生活から良い方向へ脱却したい、という欲求を駆り立てられて他人の成功法をなぞり、「本当に稼げるのか?」と疑いながらもすがるしかない気持ちで発信をしているとしたら。

本当は自分には合っていないのに、最善策だと思い込んで無理やり行動し、結果疲弊して発信活動から去っていくことになる。


アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」が流行って人気だから、ギターを弾けるようになりたいと安易な気持ちで入手しても、練習自体が難しいやら指が痛いやらで、いつの間にか部屋の隅にホコリをかぶったギターが飾られているような状態だ。



まとめると、「自分ごととして考える」ことで得られる恩恵は


①インプットした情報を自分独自のアウトプットに変化させることができる→自分だけのオリジナルコンテンツを生み出せる

②興味のあるものや情報発信の方向性が自分に合うか合わないかを、自ら体験して判断することができる


自分ごととして考える、これを常に意識して発信活動をしていくことで、自分に合った発信方法は必ず見つかるし、私がこうしてnoteを書いているように自分独自のコンテンツを生み出すことが可能になる


自分の頭で考える、脳に負荷をかける、自分はやれていると思っていてもやれてないことの方が多い。

かつての私もそうだったように、他人の文章をただ書き写すだけの写経をして満足し、何かを成し遂げた感を感じているだけにならないよう、自分ごととして考えることを意識し、習慣にしていくことはめちゃくちゃ大事なこと


私が脳死写経から脱却し、思考型写経の方法を手に入れ、コンテンツを生み出せるようになったのだから、「自分ごととして考える」ことが最強の思考法だと私は確信している。


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私の体験を元に、「自分ごととして考える」ことがいかにすごいことであるかが理解できたのではないだろうか。

成功している多くの発信者へ「すごいです!」「参考になります!」「頑張ります!」と中身のないリプを送り、コンテンツをかき集めてリポストや感想を引用しているだけの、モブアカウントになっている人が界隈では大半を占めている。

その中で、どれだけの人が「自分ごととして考え」て、行動を起こせているだろうか。

発信活動自体を自分自身がやることとして考えることができれば、モブ的ムーブはたちまち一人の発信者としての行動に変えられるから、周りで立ち止まっている人たちを一気に追い越せる。

私もまだまだ思考・言語化の積み上げ途中なので、周りの人たちに追い抜かれないよう突き進んでいこうと気持ちが改まった。


それでは今日はこの辺で。
ゆうせいでした。

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