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パクリとかパクリでないとか

今、パルワールドとかいうゲームがポケモンのパクリだと言われて話題だそうです。
(「話題だそうです。」というのは私は全然ゲームをしないので聞いた話だということです)

そういう時代なので裁判しかない

私が腕時計が好きなのですぐにフランクミュラーとフランク三浦のことが頭をよぎりました。

あれは結局本家が敗訴してましたよね。

パルワールドに関してもポケモンとデザインが似ているということが焦点なのでこの事案と似ていると思います。

現時点でパルワールドがどんだけ売れているのか知りませんが、知名度が大きくなってくると任天堂も黙っていないと思います。

モチーフだのオマージュなどの定義の話をするとどんどん香ばしくなるので何も言いませんし、そこが焦点じゃないんですよね。

要するにどこで皆の怒りを買っているのかというと、

日本の誇りであるポケモンを、日本の企業が盗作した

ということなんじゃないか、と。

某国なら「またやってるよw」で済んだでしょうが、変に出来が良いから怒っているんですよ。

オリジナルの存在しない時代です

もはや現代は

オリジナルの存在しない時代

と言っていいと思います。

どういうことかと言えば、本家というのはもう既に飽きられているということなんですよ。

だから今回のようにパルワールドが話題になるということなんですよ。

オリジナルかどうかは消費者じゃなくて裁判所が決める。

当然それぞれ別ものかどうかもね。

今山のように量産されているスマホゲーなんか言っちゃえば美少女のデザインなんてパクリだらけなのでは?

なんとなく面白そうだったので雑記事にしました。

私は哲学者のデリダの影響をもろに受けているので、最後にオリジナルに関して引用しようと思います。

デリダによれば、演技としての愛こそが、真面目な愛に先立っている。
真面目な愛のとき、人間はデートに誘ったり、毎日話したり、プレゼントをしたりする。
こういった行為は、愛においてはこんなことをするといった台本が想定されているという。
台本は伝統的に受け継がれてきたもので、小説や映画などで表現されていることが多い。
我々は見えない台本に従って、具体的な行為を遂行しているし、台本を知っているからこそ愛の表現だと理解できる
真剣で真面目な愛であっても、実際には台本に従った演技だということができる。

デリダ「演技することが可能でないならば、真剣で真面目な行為も可能ではない」

->コピーからオリジナルが生まれる

真面目な愛->演技の愛  —– 演技の愛->真面目な愛

https://souzouhou.com/2015/12/03/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81/


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