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親父と酒。

3年前の秋に父親。親父が亡くなった。
前回書いたのだけれど、親父が亡くなる直前にワザと車を走らせて、
亡くなった事を携帯で聞いた。

親父はとんでもない野郎だった。

オレが生まれる日に、産婦人科へ泥酔して母親に会いに行き、
男性の看護師だか、先生を蹴りまくっていたらしい。
そして、母親の入院費用を一日で酒に変えた。

いつかは書こうと思うが、我が家は生まれてからずっと、
町でも有数の貧乏。
当時茅葺きトタン張りの家、汲み取り式の便所、木枠の扉。
風呂は木やオガライト(燃焼材)をくべて入るタイルが剥がれた浴槽。
今で言うシンクも木枠で、ネズミがいつもうろちょろしてた。

家族は当時誰も運転免許を持っていない。だから交通手段は自転車か徒歩。
それも、ボロッボロの自転車。

なぜ貧乏だったか。もう分かると思いますが、親父の酒乱が原因。
借金取りや飲み屋の取り立てで、ヤクザまがいの人と女性が頻繁に
家に訪れて、金返せと怒鳴ってた。

もう今回のブログは「赤裸々」に書く。
というのが主題で書きますね。ここから表現がキツくなりますので、

読みたくない方は、読まないでください。



酒を飲むと暴れる。警察の厄介なんかいつもの事。
喧嘩なんか1つも強くないくせに、大きく自分を気取って喧嘩を売る。
血だらけになって倒れていた事もあった。

そして母親への暴力。
小さい時に親父が暴れていて、母親にしようとした時に、
オカンが必死になって、
「下に降りとき!!!!!」と、泣いてるオレら兄弟に訴えてた。
また、オレが幼少期の頃、親父が暴れながら家に帰ってきた時に、
息を殺して寝たふりをしていると、オレを・・・。
これ以上は書くのはやめます。

仕事は真面目。朝の4時から仕事をする。飲んでいない時は寡黙。
おとなしい。
しかし酒が入ると手が付けられない。
有り金だろうが、借金しようが、酒に注ぎ込む。

そのせいか。家は見るも無惨な一家離散状態。
兄貴は早々にグレた。
母親はオレを連れて逃げ回ってた。
典型的な家庭不和。
こんな経験、誰もが積みたくもないが、他の人ならばもう
この世にいないんじゃないかと思う親父から受けた経験だった。

自分も高校時代には全く家に帰らなくなった。
しかし、学費と生活費は自分で色んな事して稼いだ。
悪い事もかなりやった。今なら犯罪者になる事も。

その親父の酒乱を止めたのは、オレである。
現場作業員時代に、ある事がきっかけで親父と真正面からの喧嘩に
なり、親父を思いっきり投げ飛ばしてしまった。

自分は軽くしか力を入れていないけれど、飲んでいる親父は非力で、
ぽーんと飛ばされてひっくり返った。
「刺してみろやこら!!!!!」とオレは言って、車の中から
バールを取り出して、相対した。
そこで駆けつけた警察に互いが取り押さえられ、親父だけが
一週間帰ってこなかった。

それからだ。
親父は飲んで暴れるって事をしなくなったのは。

そして、その最中に親父は病気になる。
典型的な肝硬変ってやつ。心臓もかなり弱ってた。

半年くらいで、70キロ近くあった親父が40キロまで落ちた。
あの頃の親父の・・・。飲んでいなかった親父、仕事中の親父の威厳が
全く無くなってしまった。

親父の父親。
つまりオレのじいちゃんだが、この人が親父より、いやいやそれ以上の
酒乱だったと聞く。

祖父は、とある有名な土木企業の現場監督ではなく、世話役をずっと
やっていて、ダムに関しては一流の仕事師だった。

兄弟が6人いて、親父だけが男だった。後の兄弟はみんな女。

それはそれは相当厳しく育てられたらしい。
今の世の中じゃ、虐待だなと思うほど殴られ、蹴られていたと。

しかし、その祖父が脳卒中になり、半身不随になってから、
今度は親父の酒乱が始まる。

オレは祖父の血。建設業である自分は祖父の血を継いでいるといえる。
そしてオレもパニック障害になるまでは、相当に酒が強く、
パニック障害後の一時期にやってたオーバードーズも、これに由来する。

しかし、親父を見ていたせいか、飲んで暴れる行為は一切。
本当に一切やっていない。

ガリガリだったオレが、現場を通じてガタイが変わり、みんなから一目
置かれるようになればなるほど、親父の病気も進行し、みるみる痩せ細り、
親父は全くおとなしくなってしまった。

あれだけ憎かった、恨みきった親父だったけれど、
晩年は、本当に物腰の柔らかい、静かな老人になった。

こんな親父の事で、2回だけ泣いた事がある。

1つは、オレが単身生活を終え、ひさびさに実家に寄った時のこと。
オレが酒を飲んでいると、親父が
「ひさびさに飲んでみようかの」と言った。
周り、特に母親は真剣に止めた。
けど、オレはコップに少しだけビールを入れて親父に渡した。

親父はそのコップを口につけた途端に、
「苦(にが)っ」と言って、コップを遠ざけた。
そして、
「あんなにうまいとおもっとったけど、こんなに不味いんかのぉ」
と言って苦笑いした。

あれだけ、酒乱だった親父が弱ってしまったことを、再認識と言うか、
認めざるを得ない事に、涙が溢れてたまらへんかった。

もう1つは親父の葬式の時。
葬式の際は一切泣かなかったのですが、いとこの子供、小学3年の
男の子が、親父が亡くなったのを知って、大泣きに泣いていた。

いとこに聞くと、小さい時に祭りによく親父が連れて行ってたらしく、
その子にすれば、本当に優しいおじいちゃんだったらしい。

「よー来てくれたなぁ」ってオレが言う最中で、
泣きに泣きまくってしまった。

晩年の親父は寝たきりで2年を過ごした。
その介護は母親が一手に引き受けて、親父は病院で亡くならず、
実家で、みんなに見守られながら亡くなった。オレ以外は。

最後にオレに掛けてくれた言葉が、亡くなる2週間前。
庭先の草むしりをして、
「親父。庭の草取ってやったけんの」って言うと、
か細い声で「ありがと・・・の」って言ったのが最後だった。

出棺の時に、母親がみんなの前でこう言ったんだ。
「生まれ変わったらまたお父さんと一緒になるけんな。けどお酒は
ほどほどにしてな。」って。

オレはそのオカンの言葉を受け入れることにした。

親父の墓には、いつでも酒が飲めるように口の開いた缶ビールや
ワンカップが置いてある。

今だからオレも言える事だけれど、
もしこんな経験を積んでいなかったら・・・と思う事が、ふとある。
けど、そんなのは一瞬に消えて。
「オマエの子供で良かったわ。ありがとの。」と言える自分が、
今はここにいる。

ゆうさん

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