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「嫌なこと」を言われた時~note勉強会

企画に参加いたします。ごめんなさい、趣旨とは多分外れているんじゃないかと最初にお断りしておきます。

自分、へそ曲がりなので問題提起に対して求められた返答ができない。多くの人が納得する落しどころは「嫌なことを言う奴」が嫌な奴で悪い奴、だから嫌なことを言われたら、ブロックとかそこまでいかなくても見ないようにしたり、排除するのが正義、みたいなことだろうか。それも悪くない、そう思ってそういう対応もあり。

だけど自分は、「嫌なこと」の定義から入ってしまう。「嫌なこと」って自分が感じたこと。自分の主観の反映。不快感とか苛立ちとか耳が痛いとか「嫌」にも色々な種類があるような気がする。誰に言われた、何を言われた、いつ言われた、その時の自分の状況や心情がどうだったのかによっても「嫌」な感情の大きさとか中身って違ってくるような気がする。

なので、嫌なことを言われたらどうする? ケースバイケース!
が自分の答えになる。身も蓋もないけれど。

自分が嫌だと思ってることを他人は想像してないかもしれない。相手だって自分の思ったことを口にしてるだけのことが多いような気がする。他人を変えることなどできないし、そんな努力は徒労に終わるからストレスに対する自分の感情とか情動、思考をどうコントロールするかを考えるのが合理的。
直接的な暴言とか暴力とか不法行為とかそういう度を超したことには、法的措置とか警察への通報とかそれなりの対処は必要だけれど、ここでの問題提起はそこまでの犯罪行為ではないと仮定する。

まあ、自分にも偏った思考や感情があることを認めて、他者にもそれぞれの心持ちがあるんだってことを肝に銘じておく。誰が何を考えてるのか本当にわからない、自分が誰かを何かを不快に思うのと同じように、誰かが自分のことを悪く思っていてもそれはしょうが無い。他者が何を考えようと考えている分にはそれは自由だ。

なので、自分が人から何か言われたとき、相手がどうってことない人だったら言うに任せて相手にしない。人の悪口ばかり言ってる奴は将来ろくなことにはならないし、信頼されない。
自分のことを陥れたいとか傷つけたい意図がある相手なら尚更、相手にしないで強い自分、折れない自分を見せつけることが最大の反撃になる。クズを相手に消耗するってこんなバカバカしいことはない。

仮に自分が信頼してる人、関係を悪くしたくない人に何か言われたとき、誤解されてるなら誤解を解く努力をしたいし、真面なアドバイスなら耳が痛いけれど自分の反省材料にする。こういう人の言葉は重くてありがたい。自分のことを本当に思ってくれる相手なら充分に議論を尽くして分かり合いたいとも思う。

ついでにnoteでのコメント問題。皆様の記事を拝読してコメントも読んで「さすが~」って感動、感心することもあるし逆に「しょうもな」って感じることもある。noteは捨て垢でもそれなりに自分のアカウント晒してるしどんなコメントもその人らしさって感じる。例え悪意のあるコメントだとして記事主のことを気の毒に感じることはあってもそんなコメントに同調する人は少ないと思う。変なコメントつけるひとは、自分のバカさ加減を皆に知らしてるだけ。

そういうわけで、自分にいただいたコメントは全面オープンにしている。それに対しての自分の返信も含めて。どのようなコメントもいただくのは、自分の記事に関心をもってくれたからに他ならない。ただ、どう返したものかって困惑したことが過去何回かあって、その時には「コメントありがとうございます」としか返せなかった。コメントは自分を晒すことなので恐ろしいけれど、自分の記事への責任もある。

特定の誰か、何かではなくて何となく最近の風潮として感じるのだけれど、自意識過剰な傾向があるようにも思う。自分の気に入らないことを容認しにくいというか、刺激に対しての適応力が心許ないというか。
自分を成長させるには、異論や反論、批判こそ大きな力になる。同調とか親和性ばかりに偏ると歪な考えしか持てなくなってしまうのではないかと。異論・反論・批判って多くの場合優しくない。だけど「嫌なこと」の中に多様性がある。多様なものに触れていかないと自分の器は大きくならない。

自分に対して明らかな悪感情でものを言われたことって、あまり記憶にない。世間の皆様、そんなに暇じゃないだろうし、他人様にインパクトを与えられるような強烈な個性など自分にはないってことだろう。

自信を失ったり傷ついてる多くのnoterに呼びかけたい。大丈夫、自分さえしっかりしていれば他人から何を言われても、それ以上にあなたのことを信頼して寄り添ってくれる人が必ずいる。優しくなくてもあなたのことを認めてくれてる人もいる。声の大きい人の声は目立つけれど、声を上げなくても同じように心を痛めてくれてる人も必ずいる。

正直なことを言うと、コメントつけるのも手間暇がある。どうでもいい記事にはコメントつけないだろう。良くても悪くても何か感じるものがあったってことに違いない。他人の心に留まる記事を投稿できたのは素敵なことじゃないかな?

ここまで読んで下さった皆様。ありがとうございます。自分としてはコメントいただくのはありがたいのですが、返信しきれないので敢えて希望はしておりません。貰うもよし貰わないのも良し。
違和感ある方、批判だろうが反論だろうがいただくのはありがたく、安易な誹謗中傷のレッテルを貼るようなことはしないつもりです。私の記事での「心理的安全性」は保証いたします。どのようなご意見でも頂戴いたします。