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最後の晩餐(下)

“終わりよければ全てよし!!!
大事だから忘れないでね!笑
おやすみ。また明日。”

と、彼にLINEをした。

翌朝私も「終わりよければ全てよし」
と、この言葉を暗示のように心に唱えてから、
彼との最後の晩餐旅行へと向かった。

彼が教えてくれたお気に入りのオムライス屋さんに寄りたいなーって思ったりしたけど、これから大阪へ
たこ焼き食べに行くのに寄ったら微妙かなと思って
心の中だけで、行きたいなーとつぶやいた。

そんなこと思っていたら彼が「あそこのオムライス屋さん寄ってから行こ」って言った。

あーーやっぱり気が合うな〜と思った。

「とうとう最後ですよ。」
「そうだね。終わりよければ全てよしだからね!!」

そんな感じで私たちの最後の晩餐旅行はスタートした。


何気ない会話をして、たまに古着屋さんに行って、
あとはひたすらたこ焼きを食べて大阪を楽しんだ。


楽しい。楽しいのだけど何かがちがう。
なんとなく距離を感じる。

出会ったばかりの時に行ったあの時の旅行とは何かがちがう。そう思った。

そっか。あの時は、先のことなんて考えることなく
ただただ純粋にその時間を思いっきり楽しんでいたんだ。



終わりよければ全てよし。って思い込もうとしてるくせに、その終わりが来ることを常にどこか意識してしまっていた。


ホテルに着いてからも変わらず、いつもとは違うぎこちない距離を感じていた。
初めての旅行の時はソファで一緒にYouTubeを見ていたのにな〜なんてことを思い出しながら、それぞれのベッドでそれぞれに映画を見たりYouTubeを見ていたりした。

ちょっと悲しいなーなんて思ったりしたけど、
自分から彼の横に行く勇気は出なかったし、
隣に行っていいものなのかも分からなかった。
もう終わりが刻々と迫っている人との適切な距離感が分からず、自分の気持ちに遠慮した。

だから、”私はわたしで自由にやってて別に全然この距離感でも平気ですけど。”みたいなフリをして1人で映画を見続けた。

でも結局、彼が私にちょっかいをかけてきたのをきっかけにいつもの距離感に戻った。ありがとう。


次の日、私たちはたこ焼きと串カツを食べて大阪を後にした。

大阪へは私の車で行っていたのだけれど、なんだか帰り際車の調子が悪かった。無事に帰れるかどうかというレベルで。

「大丈夫?この車。笑」

「やばいかもしれんな。帰れんかったらどうしよー笑」
なんてまた他愛もない話をしながら帰路についた。

Googleマップに表示される到着残り時間を見て
これがゼロになったら私たちも終わるのか。と思った。
まるで私たちの終わりをカウントダウンされているような気がして、到着時間を見るのはちょっと切なかった。

とうとう1時間を切った。
ちゃんとお礼を言わなきゃ!と思って

「楽しい旅行でした!!ありがとう」
「こちらこそ」

ぎこちなく改まった会話をした。


そんなのも束の間、私と彼は同じタイミングで尿意に襲われた。速度抑制のための道路のぼこぼことした振動が尿意をそそる。

「あーーー。やばい。この振動が〜〜」
「早く〜〜〜パーーキングー行きたい〜」

お別れの涙や雰囲気なんてありゃしない。笑
尿意のおかげで、お別れのぎこちない会話は爆笑に変わった。

無事トレイに行けてスッキリ。
また他愛もない話をした。

ふとGoogleマップを見ると到着時間は残り20分になっていた。最後だからいろんなこと聞いておこう。
と思って「私の印象は?」「あの時はどう思ってたの?」とか色んな質問をした。

ついに残り10分を切った。
あ、もうあと10分したら本当に終わっちゃうんだ、お別れなんだ。
と急に終わりを実感し始めた私はとうとう何も喋れなくなった。せめて涙が出ないようにするのが精一杯だった。涙を必死で堪え、見覚えのある景色をぼーーっと車の窓から眺めた。

あっという間にGoogleマップのカウントはゼロになり、彼の家に到着。

「じゃあね。ありがとう。」
「本当に楽しかった!」
「元気でね」

彼が車から出ていった後、感情のままに車の中で一人泣いた。

終わりよければ全てよし?

言いたいことも伝えたいこともまだいっぱいあったのに。ただ涙を堪えただけだった。

なんであの時、自分から彼の隣にいかなかった?
なんで平気なフリして自分の気持ちに遠慮した?
最後だったのに。

終わりよければ全てよし?これのどこがだよ。
って後悔を心で呟きながら、堪えていた涙を全部流した。私はもうガソリン切れだった。

涙を流し終え、私も家に帰ろうとエンジンをかけ車を走らせた時だった。ついに赤い警告マークが表示されて車が壊れた。


車のエンジンが壊れたというのに、私の気持ちのエンジンはさっきの涙がガソリンになったかのようにして、再びかかっていた。
どうせ今すぐ家に帰れないんだったら、もう一回だけ頑張ってみればいいじゃない。そう思った。


私はわざわざちょっと戻って彼の家のすぐ近くのパーキングに車を停めた。
最後にもう一度だけ彼に会う理由が欲しかったから。


今思えばあのタイミングで車が壊れたのは、
まだ帰っちゃダメ。やり残したことがあるでしょ?
っていう何かの警告だったのかもしれない。


車が壊れたおかげで、私は彼と最後にもう一度だけ会おうと決心をすることができた。
今度こそ後悔がないように。
終わりよければ全てよし。そう心に誓って。





その夜、望み通り彼とまた会うことができて、彼の家で映画を見た。今度は彼の肩にもたれながら二人で一緒に同じ映画を見た。

遠慮をしていないこの距離感が嬉しくて切なくて、
こんなのもこれが最後なんだと思うとまた涙が溢れ出てきて、彼の温かい腕に包まれながら声を押し殺して泣きながら寝た。

翌朝、
「他にもパーキングはあったでしょ?
なんでここに停めたの?」
多分彼は分かっていたのに、わざとちょっと意地悪を込めて聞いてきた。

「最後にもう一度だけ会いたかったから」

やっと自分の気持ちを最後にちゃんと伝えることができた。本当は「好き」も伝えようと思っていたのだけれど、それだけはやっぱりどうしても言えなかった。

けどきっと私が彼を好きなことはもう、彼は気づいているであろうから、あの言葉で十分伝わったかなとも思った。
だから、私としては後悔のないパーフェクトな100点満点なお別れだった。


これは後から友達が教えてくれたのだけど、物が壊れる時というのはスピリチュアル的には、新しいステージの幕が開けるサインらしい。

この最後の晩餐旅行が終わった瞬間に車が壊れたということは、新しいステージへと羽ばたきなさいという何かのメッセージだったのかもしれない。

だからきっと、私たちはそれぞれの場所へと大きく羽ばたいていける気がしている。

今まで本当にありがとう。さようなら。


いや、やっぱり最後はまだ、”またね。”にしておくよ。



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