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ネントレを初めてみた

6か月になる娘の夜泣きが出てきたので、ネントレを始めてみた。

現状としては、2−3時間に1度起きる。
再入眠までに10分ほどかかる。1時間かかることも。
抱っこしても泣き止まないこともある。
私自身昼寝もしているので、事態はそれほど深刻ではない、とは思う。

ただ、夜寝れないと、朝のペースが崩れて、1日が思うようにいかない。
そうなると、私自信焦るし、ストレス溜まるし、何より娘のことが嫌になるかもしれない。
そんな状況を防ぐために、始めた事前の策なのだ。

以前までは、添い乳をして、大人用ベッドに寝かせていた。
眠った頃に、そっと離れて、夜のひとり時間を楽しむのがルーティン。
ただ夜起きた頃には駆けつけ、抱き上げ、授乳し、寝かせる、という流れだった。

それを。
授乳してウトウトしたところで、ここ4か月ほど封印されていたベビーベッドへ。
いつもだったら、大人用ベッドに転がされていたものを、突然監獄のようなベビーベッドへ入れられたものだから、娘もびっくりして泣き出す。(生まれた時からベビーベッドで寝ることは少なかった…)

そこから、決して抱っこしない。私は、彼女が「眠る」という行為に一切協力せず、見守るだけ。いつもだったら、抱き上げて泣くのを落ち着かせて、眠るまで添い寝をしていた。それをトントンと叩いて、横から見守るだけになった。

隣でいつも温もりを感じながら眠ることが大好きだった娘、それがなくなって癇癪を回すように泣き喚く。おお、すごい声だ。

ところで、私は自分は結構サイコパスな人間だと思っていた。人が喜ぶことや、楽しいことは率先してやるが、苦しいこと、悲しいことに対して同情より、遥かに合理的な判断を取ることが多い。無駄と思えば切り捨て、必要であれば最低限のことまでしかやらない。
だから、娘のギャン泣きを放置することなんて、簡単だと腹を括っていた。

ちなみにネントレでは、泣いていても抱き上げはしないが、見守られている安心感を与えるために、部屋の入室を繰り返す。1分おき、2分おき、その時間感覚をどんどん長くしていくのだ。
もうどのくらい経った頃だろうか、15分くらい経った頃には、娘の声が少し掠れ出した。さらにヒックヒックとしゃっくりを上げ出した。
…自称サイコパスの私も、これには心が痛んだ。それでも、ここで抱き上げたら、娘が我慢した15分が無駄になってしまう。

娘も泣いて火照ってきたのか、頭を掻きむしり出した。ひい、これは阻止したい。手を握る。すると、一瞬抱っこを期待した娘がいた。ごめん、でもそれだけは。さらに泣く。ひいい。

もう我慢できなくなって、部屋を出た。さすがに泣かなかったけど。断腸の思いだ。多分。でも、その手を取ったら、きっと2度と私も彼女も鎖から自由になろうとする日は来ないだろう。私が18の時に家を出て後悔したものの、戻らず涙した日を思い出す。

でも、このネントレは私のためだけど、娘のためでもあるのだ。6か月を迎え、夜泣きという大人への一歩という成長をしている彼女に必要なのは、私からその手を離してあげることなのだと思う。

だから、明日は朝から沢山甘やかしてあげよう。沢山抱っこして、沢山大好きと言おう。沢山愛してあげるんだ。

ここまでかなり壮大な話を言ってきたが、たかが一緒に寝ない、である。こんな些細な出来事を感慨深く思うなんて。保育園に行く、トイレに行けるようになる、一人でご飯を食べられるようになる、そんな一つ一つの彼女の成長に、私はきっと心を動かされ続けるのだろう。
されども一緒にねない、である。

大きくなって、成長していく娘の姿が嬉しいと共に。
きっと手を離れていくことが、きっととても寂しく感じるのだろう。
今回は私から手を離しに行ったけど、きっと彼女から手を離してくる日が沢山くる。
楽しみなような、悲しいような。
でも、これだけは思える。今を大切にしなければならない、と。

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