地元のチームって、何でこんなに愛おしいのか


大阪府堺市、
古墳、鉄砲、包丁、自転車、お茶、ザビエル、
「ものの始まりなんでも堺」、
私が生まれ育った街は、沢山の歴史で溢れている。

中学生の頃、「地元最高!」と声高に主張するヤンチャな風貌の少年少女を、
私は遠くから「変な奴らだな」と眺めていた。
その頃の私は、早くこの小さな町から飛び出したい、と切に願っていた。


セレッソ大阪というクラブ

2014年、はじまり

6月、ブラジルW杯の日本戦で、私はサッカーの魅力に取り憑かれた。
それまでサッカーなんて、ほんの少しも興味がなかったのに。
サッカーのルールは、これっぽっちも分からなかった。分からなかったけど、ただボールを追いかけて必死に走って、叫んで、汗を拭っている姿を画面越しに見るだけで、胸が躍った。
当時まだ学生だった私は、1限目くらいの時間に放送される試合を、言い訳を考えて学校を休んでまでテレビに齧り付いて観た。
一番の推しは内田篤人選手だった。だって顔がカッコいいから。

さて、日本のW杯はあっさりと終わりを迎えた。
好きになった内田篤人選手は、当時、ドイツのシャルケ04というクラブにいた。
サッカーを観にいきたいけど、どうしよう、と考えてすぐ、地元のクラブであるセレッソ大阪を観にいこうと思い立った。
当時のセレッソ大阪には、W杯で日本代表として選出されていた新進気鋭の若手、柿谷曜一朗選手(7月に海外移籍することになる)、山口蛍選手に加えて、ロンドン五輪日本代表の扇原貴宏選手や、2年目のイケイケルーキー南野拓実選手が在籍していた。
それと、なんかすごいらしい、ディエゴ・フォルラン選手もいた。
全然知らなかったけど。
セレッソは2013年に好成績を残し、それに貢献した選手達が爽やかなルックスで人気を集め、「セレ女」なる女性のサポーターが沢山いた。
よし、これに乗っからない手はない。

9月27日、親友を誘って、浦和レッズとの試合を観に行った。
その試合では、堺市民デーといって、堺市在住・在学・在勤の人はチケットを優待価格で買えるキャンペーンをやっていた気がする。
これが地元のチームを応援するメリットの一つだ。
私達は、スタジアムグルメを食べることもなく、ただ試合を観てはしゃいだ。
リーグ首位の浦和レッズに1-0で勝利し、初めての試合観戦を終えた。
(厳密に言うと、小学生の頃に親が連れて行ってくれたことがあるらしい。確か、それも堺市の小学生に配られる優待チケットで観戦していた。)

試合が終わってすぐ、さあ次の試合だ!と、次のホームゲームの10月22日、徳島ヴォルティス戦に姉を誘った。
お小遣いでコンフィットTシャツを買って、はじめてピンクを身に纏った。
この時には、私の推しは扇原貴宏選手になっていた。
何となく、顔も可愛くて、ロングボールを蹴る姿がカッコよかったから。
ここで私が伝えたいことは、ルールなんて分からなくてもいいし、プレーの良し悪しも批評しなくていいから、ただ自分がアツくなるところを見つけて、それを存分に堪能すればいい、ということ。
2試合目の観戦は、3-1の勝利に終わった。

3試合目、11月29日の鹿島アントラーズ戦、この日のことは鮮明に覚えている。
サッカーより野球派と豪語する友人を必死に口説いて連れて行ったことを、後悔する結果に終わった。1-4の大敗。そしてJ2降格決定。
汚い野次とブーイングが響き渡るスタジアムで、「早く帰りたい」と言う友人を制止して、私はただ呆然とその光景を目に焼き付けていた。
正直に回顧すると、シーズン途中から応援し始めた私には、何が起こっているのか、何故みんながそんなに怒っているのか、あまり分かっていなかったのだ。
ただ、またセレッソ大阪のサッカーが見たい、という思いが残った。

J2降格決定の後、サポーターによって掲げられた痛烈な横断幕

2015年、桜色に染まる

ホームゲームのシーズンシートを購入した。
鹿島戦での出来事で、友人を誘うことがトラウマになり、結局一人で観戦することに落ち着いた。
思い返してみると、それまでロクに一人で行動したことのなかった自分が、よく決断したな、と自分自身でも感心する。
それも、スタジアムのある長居公園が家から近かったことや、母親が車で送り迎えしてくれていたおかげだろう。

その年、私はリーグのホームゲームに熱心に通い、皆勤を達成した。
舞洲にある練習場にも時たま足を運び、選手と写真を撮ってもらったり、サインをもらったこともあった。
どんどん日常がセレッソの桜色に染まっていく感覚だった。

シーズンの結果としては、目標としていたJ1昇格には手が届かなかった。
昇格を賭けたプレーオフに敗北した時、やはり私は呆然と立ち尽くした。
ただ、もがき苦しむ選手たちを見て、自分の無力さと悔しさを感じた。

2016年、シャッターを切る

J2の2年目、継続してシーズンシートを購入した。
この年、私は念願の一眼レフカメラを手にして、選手の写真を撮ることにした。
高額な買い物にも関わらず、母は欲しかったカメラを買い与えてくれた。

4月10日 U23の大阪ダービーにて

7月のはじめ、衝撃が走った。
大好きな、扇原貴宏選手が名古屋グランパスに移籍することを発表した。
彼は堺市出身で、堺の親善大使として市役所にパネルが飾られていたこともある。
生粋の桜っ子だった彼の、出場機会を求めての移籍に反対意見も少なく、名残惜しい別れとなった。

それでもシーズンは続き、苦しいプレーオフの末、セレッソは2年ぶりにJ1に返り咲くこととなった。

土砂降りの中、J1への切符を手にした試合

2017年、セレッソが愛おしい

J1での新たなシーズンが始まった。
言うまでもなく、継続してシーズンシートを購入した。
大好きな選手が去った昨シーズンを経ても、私はセレッソが大好きなままだった。プロスポーツの世界では当然だが、チームの形は常に流動的で、去っていく人と新たに加わる仲間が入れ替わり立ち替わりの状態だ。

私は扇原選手がいなくなってから、「好きな選手は誰?」と聞かれると、答えに困ってしまうようになった。しかしそれは、誰のことも好きではない、ということではなく、セレッソのために走り続けてくれる選手みんなが好きなのだ。

2017年、セレッソは、その歴史に新たな記録を刻み込むことになった。
ルヴァンカップ、そして天皇杯の二冠を達成した。
こんなに嬉しいことは自分の人生で初めてだったかもしれない。

堺ブレイザーズというチーム

2017年、はじまり

7月の世界選手権アジア最終予選が、私がバレーボールにハマったきっかけだったように思う。
当時、石川祐希選手・柳田将洋選手・山内晶大選手・高橋健太郎選手が「BIG4」という括りで多くのメディアに取り上げられていた。
例のごとく、バレーのルールも全くと言っていいほど知らなかった。
それなのに、ポイントを取られては取り返す、緊迫した状況にどんどんと引き込まれて、いつの間にか連日の試合を見るようになった。

9月、やはり生で試合を観たいという気持ちを抑えきれず、大阪市中央体育館(現在の丸善アリーナ)で行われたワールドグランドチャンピオンズカップ(通称グラチャン)のチケットを取った。
平日の3日間、カメラを鞄に忍ばせて登校し、授業が終わってからすぐに体育館に向かったのを朧げに覚えている。

そこから数年間は、龍神NIPPONやバレーボールについて考えることは少なくなった。
好きになった石川祐希選手はイタリアのチームにいて、柳田将洋選手の所属するサントリーサンバーズは、大阪の箕面が本拠地で、堺から通うには遠い場所にあったからだ。

2023年、炎の男たち

2022年の終わり頃、なぜふと思い立ったのかは分からないけど、やり残していることが沢山あるような気がして、2023年は、やりたいことを全部やろう、と決意した。
そして、真っ先に思いついたのがVリーグ観戦だった。
どのチームを応援すればいいか分からないから、手始めに柳田選手がいるジェイテクトSTINGSを観に行くことにした。
1月15日、タイミング良く、奈良のジェイテクトアリーナで試合があった。
対戦相手はJTサンダーズ、日本代表の小野寺大志選手がいるチームだ。
数年前に何度も心躍らせた柳田選手のサーブが、また目の前で見れる喜びで胸がいっぱいになった。
試合は3-0でジェイテクトのストレート勝ち。最後のセットは長いデュースで胸がはち切れそうになった。

しかし、ジェイテクトSTINGSを推そうにも、彼らは愛知県刈谷市という私にとって縁もゆかりもないところを本拠地として活動している。
中々そこまで遠出する気力はない。
そこで、大阪のチームの試合を観に行ってみることにした。
V1に所属する大阪のチームは、箕面市のサントリーサンバーズ、
吹田市のパナソニックパンサーズ、そして、堺市の堺ブレイザーズの3つがある。
前述した通り、私はセレッソ大阪を愛しているから、青と黒のユニフォームを纏い、パナソニックと名のつくチームには、少し敵対心を抱いてしまうのだ。
2月17日、サントリーサンバーズ対JTサンダーズ、2月19日、堺ブレイザーズ対VC長野、の2試合を観に行った。
サンバーズは、非の打ち所がないくらい強かった。セッターの大宅選手のトスをずっと食い入るように見てしまった。
ジェイテクトに続いて、このチームも好きだな、と思った。
ブレイザーズは、バチボコに強い、というよりも、(超感覚的なのだけど)やる時にはやる、頼もしい人達、という感じだった。
マジで知らんのだけど。(保険をかけておこう。)
日本製鉄堺体育館は、アクセスが悪くて、母に車で送ってもらうことに。
車中で、母がしきりに「新日鐵時代、すごく好きな選手がいた」という話をしてくれたから、少し愛着が湧いたのかもしれない。
なんとなく、この人たちを応援したいな、と思った

そこからは話が早い。
とにかく試合のチケットを買い漁った。
22-23シーズンも既に半分を過ぎ、後半戦になっていた。
もう残された試合は少なく、つべこべ言わずに行ける試合に全て行くことにした。

勝った試合よりも、負けた試合で、彼らを応援したいという気持ちが増した
当然だけど、勝つ時には勝って、負ける時には負ける。
負けても、まだ応援したくなるのは、セレッソ大阪への気持ちと同じだった。


地元のチームを応援すること

私はこの記事で、地元のチームって何でこんなに愛おしいのだろう、という疑問について、過去を振り返ることで、整理することに努めた。

地元という私を構成する基盤から、私が離れられないように、地元のチームからも、私は離れられなくなってしまったのだ。
どんなにチームが苦しい時も、ただこの身から切り離すことができないのだ。
それが地元のチームへの愛おしさでもあり、それ以上の重たい感情でもある。

そしてもう一つ。
この記事を書いていて気づいたことがある。
結局は、地元のチームのおかげで、地元が好きになって、堺を誇りに思うことができて、堺を離れたくない、と強く思うようになったような気がする。

私が中学生の頃、「何もない」と思っていた街には、セレッソ大阪と堺ブレイザーズという最高のチームがあった。

「地元最高!」と叫んでいた幼い彼らは、堺の歴史ではなく、きっと、彼らと共に過ごした仲間を想っていたのだろう。

人が街を作るように、チームが街を作る

街の至る所に、チームのポスターと応援の言葉が掲げられる。
それを目にする度に、ここがホームタウンだ、と思える。
私が「地元最高!」と胸を張って言えるようになったのは、この街で戦う彼らが、ずっとそこにいてくれるからだ。

#セレッソ大阪
#Jリーグ
#堺ブレイザーズ
#Vリーグ

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