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【ゆるてつメモ】2024.04.10「「多様性」って、そもそもあって当たり前で、わざわざ認めたり、大事だと主張する必要はあるのか?あるとしたら、どんな理由で?」byふうね

【問出し】
①どこまでを多様性として許容するべきか?
多様性を認めないという多様性は認められる?
②「多様性」により無くなった価値観について
③生物の多様性、のように、単一化(たんいつか)は
文化のそれも滅亡させかねないか?
④「多様性」って、そもそもあって当たり前で、
わざわざ認めたり、大事だと主張する必要はあるのか?
あるとしたら、どんな理由で?
⑤多様性という言葉をマイナスなイメージで使われるとあれ?
となったので、多様性という言葉自体自分の中で
ポジティブに捉えていることに気がつきました。


【哲学対話】

・そもそも多様が前提なはず。 
⇔ なぜ敢えて言葉にする?:多様な人々がいたら大変。
だからこそ、法律や教育・常識が必要に。
⇒ 現状の教育などに疑問がある人が、
たまたま提唱した「多様性」が、
周りで同様に疑問や抵抗を抱いていた人々に響いて
きっかけになったのでは


・多様性っていう言葉の後ろにいろんな種類があった。
今までも色んな多様性はあったけど、
スポットが当たっていない人もいた。
⇒ 多様性:マイノリティも含めて、
色んな人が幸せに暮らせる社会を目指すもの。


・いきなりここ数年で「多様性」が広がった気がするけど、
SNSなどで情報が届いて目に見え、
認識できるようになったように感じるだけかも。
⇒ 知られていないだけで、数自体は
増えても減ってもいないかもしれない。
文化やコミュニケーションツールが多様性を助長したのかも


・「多様性って出てきたな」というタイミングがあったように感じる。
母数の大きいものに当てるスポットが無くなり、
多様性に順番が回ってきたのでは。
⇒ 認めることはいいはずなのに、
認めさせる武器みたいになっている気もする。
「多様性わかってないなんて…」など。
Q.「認める」と「認めさせる」の違いをどう感じますか?


・多様性を認めないことも多様性じゃん、と思いたい。
⇒「認めさせる」になった時点で、
その本人が「多様性」から外れてるぞ、と思う。

昔の人間が、自分たちの為に生み出したルールが古くなってきた時に、
「多様性」という言葉が "ルールから外れる後押し" をさせる。

自分自身、「周りと同じでいたい」と「ちょっと違っていたい」共存。
 ⇔ 「周りと同じでいたくない」人は
「多様性」に背中を押されるだろう。

デメリット:そもそも組織の秩序を大幅に逸脱した行為を、
助長させるリスク(行き過ぎ:犯罪者・精神疾患など)


・年齢の上の人など、多様性についていけない人に対しても、
多様性が認められるべきでは。
「多様性」の次⇒ 時代についてこれない人などが
受け入れられる時代になる?


・(議員などの失言について)「多様性が分かっていないこと」が
いけないのではなく、
「多様性が分かっていないことがリスクだと分かっていないこと」
&そういう人が上の立場にいることがやばい

以前は上の立場にいる人にしか発言権が無かった
(例:黒人や女性の偉人が少ないように)
⇒ SNSによってある程度、発言権の最低ラインが担保され、
新たな影響力(権力)派閥ができた。

「多様性」のデメリット:多様性を認めていくと
「多様化した後の○○(混ざった後の○○)」に
一本化されて行ってしまいそう


・いろんな色を認めていったら、混ざり統一化して、灰色になる。
今は「多様性」でマウント ⇒ 更に口当たりの良い言葉が出てきて、
それに移行していくんだろう。

「認める」だとマウントをとるために上から見ている感じ。 
⇒ 「受け容れ合う」を使いたいと思った。


・「生物多様性」=生き物たちが生き残るためのもの。
それを軽々しく使ってはいけない気がする。

仕事が出来なくても「これも多様性だから」としてしまうと、
そこで思考停止。
本来持っていきたい方とは別の方向に行ってしまいそう。


・自分たちが使う「多様性」:人間社会における条件付きの「多様性」

「多様性」を多用し過ぎてしまうと、多様性が対立して、
気に入らない多様性を消したくなる。
絶妙なバランスで使われるべき言葉。

1対1のとき「多様性は認めるけど、行為自体は拒否できる考え方」
の中でニュアンスを調整しながら使いたい
(例:同性の友だちから想いを寄せられた場合、など)

社会の中での「多様性」、個人の間(1対1など)の「多様性」。
同じ多様性でも違いがありそう。


・本来だったらみんな知っていることに対して
「多様性」と名付けることに対する違和感。

自分が子どもの頃は「統一化」「均一化」社会 ⇒ 
今はそこに違和感を感じる人でも意見を言えるようになってきて、
時代が変わってきたんだな、と思った。

最近の整形:突き詰めていくと、みんな同じ顔になるのでは? 
みんなと同じになりたい? みんなより上の個性になりたい? どっち??


・多様性と個性って反対語じゃないんだな、と思った。


・昔:共通の敵を作って一致団結しよう 
⇒ 今:個々の強みを生かして一致団結しよう

きのこの山・たけのこの里戦争:
「どっちも美味しいじゃん」じゃつまらない。
⇒ 好きを大事にするという意味では個性と多様性は両立可能


・「多様性」の反対語:「同一性」に感じた。
でも、「同一性」があるからこそ意思疎通が可能になり
「多様性」が成立する。

「多様性」を突き詰めると、「あなたのことは分からない」になる。
 ⇒ 離れてしまうのを繋ぐのは「共感」
=多様の中の同一や、同一の中の多様のバランス


【感想】
・今日の収穫:「認める」ではなく「受け容れ合う」で考えていきたい
・参加前:「多様性」=みんなちがって、別にそれでいいよね。というような無関心をイメージしていた。参加してみて「多様性」の「多様性」を感じて、刺激的だった。
・子どもを育てるうえで「多様性」をどう伝えたらいいか?を考える。実際に子どもの周辺で「多様性」について考える事例があったりする。
・「多様性」ばかり見て、自分の感情の部分を殺してしまうのは違うのかな、と思った。
・「認める」=そこにいるんだ、ということを認める。という意味かな、と思う。多様性:その人の個性を「認める」 ⇒ 「尊重する」
次の世代にどう伝えていけばいいのか?を今後も考えていきたい。
・「あなたの発言は大嫌いだ。だが、あなたがそれを言う権利は命をかけても守ろう」 ⇒ バランス感覚
みんな違ってみんな良い、でも俺はこれが良い。 ⇒ 自分と言う存在によって多様性にある程度枠を作る
・今日の話を聞いて、自分の中の多様性は「あなたは○○についてどう思う?」「そっか~、私はこう思うよ」までだと感じた。


おわり

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