転職について①

前の記事にも書いたが、私は新卒で入った会社をやめ転職をした。

結果的にこの転職はいろいろな意味で大成功だと思っているが、そこに至るまでの経緯や苦悩についてまだ記憶が鮮明に残っているうちに記事にして残しておこうと思う。

一度の記事にダラダラ書くのが嫌いなので何個かに分けて投稿していこうと思う。

まずは前職について語ろうと思う。

正式な会社名は伏せるが、東証一部にも上場している技術者に特化した派遣や請負開発を行っている企業の中でパイオニアと呼ばれている会社である。

私も日本でもトップを走るようなものづくりを行っているS社やP社の中に派遣社員として入り込み開発業務を行っていた。

最初に派遣されたS社はたいへん儲かっている会社であったためか、派遣会社に対しても大盤振る舞いしていたようで派遣されている間の給料はとても良かったし、開発環境、オフィス内環境も非常に充実していたほか、Sの社員で派遣社員を取りまとめていた方の業務の回し方もうまくコントロールされていたため誰か一人に極端な負荷がかかることなく非常に快適に業務を行うことができていた。(残業も殆どなかった)

だが、感染症と米中冷戦による中国への輸出規制が始まったことによりS社は業績が悪化。

所謂派遣切りを行ったわけだがそこで切られたのが私である。

幸いなことにS社での経験を買われすぐにP社での開発業務への派遣が決まった為、派遣社員あるあるの社内待機は避けられたがこれが後に転職を決定づけることになる。

P社へ派遣された私は納期が迫っているプロジェクトへいきなりアサインされ、教育もなくいきなり業務を始めることになってしまった。

(配属前に営業から聞かされていた話では最初の数カ月はツール教育だからプロジェクトへアサインもなく安心していいという内容だった)

その結果配属初月から残業時間が35時間と今までとは比べ物にならない負荷が自分にかかるようになったのである。

それでも前回派遣切りにあっているので今度こそは派遣切りにあいたくない、Sに切られずに残った派遣社員をいつか見返してやりたいという一心でなんとかその業務をやりきることができた。

問題はこの燃え上がっていた自分を当時の上司に魅せてしまったことによりとても仕事ができるやつであると認識されてしまったことである。

そもそもエンジニアの世界での派遣社員というのはメーカーが自分の社員にやらせるとお金がかかって仕方ないから安い金額で下請けに投げている仕事の一部をやっているに過ぎないため、少ない人数で忙しい現場へと行かされるものが常である。

切られる前までいたSはそこをうまくコントロールしていただけであり、普通は激務な現場しかないのである。

つまりどういうことか。

このあとできるやつ認定された私のもとへ残業40時間ではとても片付けることのできない仕事がバンバン振られるようになったのである。

当然36協定違反は法律で禁止されているため会社へ残業時間の延長を求まられない私はサービス残業へ手を染めるしかなかったのである。

これでも仕事がないよりはマシだと自分に言い聞かせながら。


次回へ続く。

書いてて悲しい気持ちになってきた。

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