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アウトプットしてぶん投げろ

昨晩、とてもモヤモヤすることがあってどうにもならなくなりひたすらにモヤモヤを書き綴っては消すという方法で解消していたのだけれども、途中から怒りになり、次に悲しみになり、発送の転換を挟んで着地した。

思い返すといつも同じパターンで自己解決に向かうプロセスを踏んでいるような気がしたので、次から記録をとって考察してみよう……。

こんな風に、昔から書く事がストレス発散の一番の方法だ

人に愚痴ってしまうことももちろん多々あるのだが、知らない人のネガティブな話を他者にすることは、あとから罪悪感となってボディーブローのように効いてきてしまうからあまりしたくないのだ。

これは私がいい人だからとかではなく、単純にそれらが出回って本人の耳に入ったらどうしようとかなので思いっきり自分の為である。嫌な性格だな。

ともかく、そういうことにならないためにも私は書く、手書きだったり、打ち込みだったりはその時によるけれど、子ども時代の日記に始まり今に至るまで、文章というものにどれだけ救われてきたか、支えられてきたか改めて実感する。

生まれつき謎に体力が無く、かといって病気でもなく、虚弱というにはやや健康。ゆえに普通に比べてなんかできないやつという印象のまま生きている。

体育の授業で言えば競技によっては人並みかそれよりちょっとできるのに、体力のいる系はからっきしという具合だ。

地味に困るのが握力が弱い事である。

学生時代のマックスで18しかなかった、平均すると15くらいだろう、メンタルが死んでた頃に、地元のお祭りの無料体力診断コーナーでお年寄りに交じって図ったと時は利き手で13しかなく「終わった」と笑えて来たものだ。ブースにいた人たちにもわざとか?という目で見られたが数値にむかついて三回も図りなおしたころには普通に心配されて健康体操教室のチラシとなんでかスポーツドリンク一本いただいてしまった。優しい。

重いものは瞬間的に持つことはできても「掴む」ことが困難という具合なので、普段の生活にはそこまで困らない、あ、海外の水のペットボトルの蓋とだけはいただけない。なんだお前らは掴んで回される気がないのではないか?職務放棄ではないか?と疑問に思っているのだが皆さんはどうお考えでしょうか。

他で言うと文化包丁・三徳包丁サイズは不安が残るためすべてペディナイフとキッチンばさみで調理をしているのも、不思議に思われることの一つ、いや、あんなんすっぽ抜けたら怪我しますからね、自衛です。「握りきれる」柄の太さと刃のバランスで考えていったら自然とそうなっただけだし、同じような理由でプライパンなども選べばいいだけだし、鉄のフライパンやスキレットに定期的にあこがれるんだけれどもそういう時は店頭でルクルーゼなどを持ち上げて諦めつけて帰宅したらよろしいのである。

そんなこんなでずっとフォローすれば問題ない、というスタンス生きている。

若いころはか弱いふりして、ぶりっこ、媚びてるみたいなことをひそひそされたり面と向かって言われたりもしたもんだが、年を取ったらアラやだ不憫な人で終わるのでめちゃくちゃ楽。面倒なのは「筋トレしたらよくなる」と強く進めてきてくれる人くらい。

赤ちゃん沐浴教室で赤ちゃん人形を落とした私を舐めないでいただきたい。

そんなこんなな人生でも文字は書けるのだ。紙とペンであればかけてしまうし、パソコンがあれば何万字だって打てる。なんてすばらしいんだ!骨もなんだか弱めなので右の指を3回折ったことがあるけれど、左でぺのぺのの字を綴り続けた。別にどうしても書きなぐりたいという用途ならあとから読めなくたっていいしね。

病んでた時はトイレットペーパーに書きつらねてトイレに流したり、紙に書いてシンクで燃やすなど呪詛では……?というような行動をとっていたこともあるが書かれた皆さん無事生きててくださってありがとう私の心が助かります。見えないところで生きててほしいのは本当だけれども。

今一番短時間でスッキリするのは万年筆で書きなぐってぐしゃっとして投げて捨てる、である。

万年筆なのは力いらずでダバダバ書けるからという理由なだけなので水性ボールペンでもいいと思う。とにかくよくわからんでいいからわーー!と書いてばーー!とぐしゃってドーーーーン!である。ほんとにスッキリするし時間もお金もかからない上に大したごみも出ないので、ちょっとした呪詛をお求めの方はぜひやってみてほしい。

最後に、こんなことを書き散らかしているということはつまりそういうことである。だが私はこの記事を公開したらバームクーヘンを食べるので存分にいいなーと思ってください。

かしこ。

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