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噴上裕也は天上ウテナよりも気高いのではないか


ウエペンと言います


昨晩、Xで「(ジョジョの奇妙な冒険第四部の)噴上裕也が好き」というポストを見て、俺の中に大きなエモが発生し、シナプスが音を立ててピキピキと各方面に繋がりました。


そんなわけで少女革命ウテナの話をします。


噴上裕也から少女革命ウテナへのシナプス


ウエペン

ジョジョの噴上のことをざっくり言うと、彼は「取り巻きの少女たちを大事にする男」です。
「おもしれー女にしか興味を示さない御曹司」の逆と言える。

キャーキャー言いながら自分を囲むピーポーだって、それぞれ「人格ある一個人」であり、「無価値な賑やかし」ではない。

なんて健全な感性の持ち主なんだ、噴上裕也。キミはとても正しい。まず隣人から愛し、隣人の愛に感謝する、高校生の時点でそれできてるのスゴイな。そりゃ取り巻きもいるわ。


ここで繋がったわけです。


少女革命ウテナのオムニバスシリーズ(黒薔薇編をこうとらえている)には、「取り巻きの少女にスポットライトが当たる回」が存在しています。

でも今その話はしない。
そこから茎を延ばし、若葉の話をします。←気の利いたこと言いました。

※全人類が少女革命ウテナ全話を視聴しているという前提で進みます


「友達に剣を向けられない」という一般論であり、「若葉に剣を向けたくない」ではない


ウエペン

↑「若葉繁れる」におけるウテナの、そりゃ、いいこと言ってるんだけど、若葉が今そうなってんのは、そういうところじゃねーの? のヤツです。

この話がすごいのは、最初から最後まで、ウテナはマジで若葉のことをまっっったく理解しないところですよね。そりゃ若葉から取り替えられもするだろう(最終話)。


ウテナはアンシーのこともずっっと理解せずに「友達だから」「友達だろ」と一般論の範囲で接し、しかしアンシーに対しては、最後の最後でそのことに気付いて後悔する。


ウテナは「気高い」と称されていますが、具体的にどのへんが? と当時思っていたなあ。
これは製作者ももちろん意図していて、後半で「あきらかに気高くないことを言う」瞬間があるじゃないですか。アンシーに男のことですごいマウント取りに行くやつ。

「ウテナはずっと一生懸命」であることは間違いなく、丁寧に「敵は寝転がってジュースすすってる」対比も描かれるので、そこはわかる。常に強い意志で弱い者を守ろうとする、それは確かにとても立派だ。

しかしウテナは、「弱い者」、代表的にはアンシーや若葉について、その心の内を全然理解してない。
「強い者」、たとえば冬芽や敵のことも理解してないですよね。ウテナが他者と心を通わせる描写は、最終盤まで存在していない。


25話の西園寺が言う「僕も昔は僕なりに薔薇の花嫁の気持ちを考えていた。(中略)でも今はわかる、薔薇の花嫁には意志なんかないってことがね!」のほうが、よほどアンシーと心を通信させようとした形跡がある。だから結論も八割正しい(アンシーは意志のなさを目指しているから)。

「下々の個性になんて興味がないことがむしろ気高い」というアイロニカルな意図があるんだなと思いますね(若葉のみならず、御影と暁生もけっこう直接的にそれを言っている)。

もちろん、ウテナ自身が「それは違う。それは気高さでも、王子さまでもない!」と気付く最終話のために。

バドミントンのところでようやく、ようやく、ようやくわずかに、他者と心をポンポンポンとやり取りすることができており、雪融けを感じる明るい日差しのシーン。


「下々の者」でいたい取り巻きもいるのだが


ウエペン

↑アイドル界隈ではよく観測しますね。二次元界隈だと「壁になりたい」的な価値観も近いのかな。個として認識されたくない者もいる。

しかし、やはり「いつも自分を元気づけてくれる女ども」に愛情を注ぐ噴上裕也のことを、メチャ気高いな~!と俺は思い、尊敬します。


「ウテナが王子さまになった」のは、最終回のあの場面で、その気高さを獲得した瞬間ですよね。
初めてアンシーに手を、心を、愛を差し伸べて、そこで彼女は初めて気高くなった。


俺はそう解釈しています。



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