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上等なお茶のように

良い作品。興味深いもの。本当に楽しめているものというのは、頭ではなく、カラダに抵抗を感じない。

上等なお茶を頂くと、スッと体に入ってゆく気がする。
それは世間一般に高級とされているものではなく、 "自分のカラダ" が良い。と感じたもの。

どうしても "良いものだ" というラベルが貼られてしまうと、頭のほうが強引に「これは良いものなのだ」と思い込もうとする。

その時に感じるカラダの違和感。抵抗感。
どこかザラついたものが入ってくるような感じ。
「高価なものだから」「評判がいいものだから」「売れているものだから」
― 頭で自分を誤魔化そうとしている ―

自分に催眠術でもかけるように。

それは何も飲み物や食べ物だけじゃなく、ありとあらゆるもの。漫画であったり、ドラマであったり。
映画、小説、洋服やスリッパに至るまで。

どこかで自分の感覚を騙していると、ふとした瞬間にザラリと気持ちの悪い引っ掛かりを感じる。

そういった違和感を覚えるモノと過ごす時間というのは長く感じる。そして疲れる。

だからそういう感覚があったときは、可能であればその状態を避けるようにしている。何かを見ているときも、何かをしているときも。

頭は賢いようでいて、単純に騙されたりもする。
だまし絵はそういう脳の特性を逆手に取った技法であるし、会話で騙す詐欺師なんていう輩もいる。

だから頭は勘違いするものとして、カラダの感覚。肚で判断するというのだろうか?できるできない。正しい間違っているは別にして、なるべく違和感の出ない選択をするように心がけている。

『のぼせる』『浮つく』という言葉があるように、意識が頭のほうに偏ってしまうとろくな事はない。
そういう意味なんじゃないかな。

『肚が据わっている』『気持ちが落ち着く』という言葉は、意識が体の中心に留まっている様子を表しているように思う。

もっと極端な言葉で言えば、『無我の境地』や『明鏡止水』などと言われているような状態だろうか。
これはもう頭で考える云々どころの話ではない。

そんな達人が臨むような領域まで到達する必要はないが、自分の感じることのできるレベルで、範囲で。
カラダの声と言動とがバラバラにならないように、無理したり背伸びしないようにしたい。

でも、やっぱりどこかで見栄をはってしまう自分がいるんだなぁ。

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