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ハレの映画もあれば、ケの映画もある

かつて修士論文というものを書いたことがある。90年代の半ばなので、ずいぶん前の話だ

提出期限前の2週間は、部屋から一歩も出ることができなかった。1日2回、ボンカレーを食べる以外はずーっとワープロに向かい、寝るときはバーボンのロックを2杯飲んで寝ていた。

その間、ずっと考えていたことがある。それは

ぜんぶおわったら、次の日は祇園会館に入って朝から晩まで出ないぞ

である。これを呪文のように念じながらやっていた。「祇園会館」というのは、あちこちの映画館で使いまわされてくたびれたフィルムを安く上映してくれるところだった。いわゆる名画座である。

さて、そういうわけで修論提出後の翌日に実行に移したのだが、そのとき祇園会館では「ダイハード1&3」を上映していた。どちらもすでにロードショーで見ていたし、第一作はLDも持っていたのだが、そういうことはどうでもよかった。朝から上映終了時間まで、何も考えず、ひたすらダイハード1と3を見続けた。

途中でお尻が痛くなったし腹も減ったが、意地になって終映時間まで粘った。

さいきん、ストリーミングで『Die Hard1-5』というパッケージを買って久しぶりに見なおしたんだけど、細部まで覚えている自分がおかしい。当時のことを懐かしく思い出す。

さて、名画座には高級志向の映画館と、「質より量」を重視する駄菓子屋っぽい2番館の2種理がある。

高級タイプの名画座は、ロードショー公開されない渋い作品を選んで上映するところであり、いまでも根強い人気を誇っている。いい映画を、静かないい環境でじっくり見たいとねがうシネフィル(映画狂)の需要はこの先も消えないだろう。

ぼくももちろんこのタイプの映画館は好きで、かつては「週5」で通っていたこともある。

しかし、後者の駄菓子屋タイプも好きだった。この手の二番館はかつて全国にあったんだけど、レンタルビデオの普及とともに徐々に消え、ストリーミング全盛の今はほぼ息の根が止まっている状態だ。時代なので仕方がない。

しかし、2番館が消滅したにもかかわらず、2番館に似合うタイプの映画というのはあいかわらず存在するのである。

ぼくにとっては「釣りバカ日誌」シリーズや「007」シリーズなどがそれにあたる。

映画007シリーズの良さはいろいろあるけど、いちばんいいのは「何も考えないで観られて、見終わるとすっきりする」点だろう。

ロードショーでは案外見ていないし、次の最新作が公開されても、シネコンに行くことはないとおもう。でも、好きかと言われればとても好きなのである。名画座でやっていればまよわず入っただろう。

かつて名画座に「東宝特撮映画フィルムマラソン」というのに出かけたことがあるんだけど、『海底軍艦』、『緯度0大作戦』、『ガス人間第一号』、『電送人間』を続けてみて頭が混乱した。

ガス人間を演じるのは土屋嘉男さんなのだが、電送人間を追いかける刑事もやっぱり土屋さんで、いまだに筋が混乱している。でも、こういうのが名画座のたのしさである。「007」を5本くらい続けてみてみたい。

祇園会館もすでに消えてしまったらしいが、支配人の思い出話が、ウェブで見つかった。

「先輩から言われた“映画に惚れるな”という言葉が今でも私の信条です。映画館はあくまでも商売…そこに自分の好みを反映させてはいけない。という事だったんでしょうね。よく取材で“映画って何ですか?”という質問をされるんですが、その時は“飯のタネ”と答えるようにしているんです。(笑)」

港町キネマ通り

「映画に惚れるな」、「飯のタネ」だそうだ。言い方は悪いが、ポルノ映画館みたいな気持ちでやっていたのがあらためてわかる。

しかし映画のもつ良さの1つはまちがいなく駄菓子感だ。どんなに高級な作品にもどこかしら駄菓子的な雰囲気が付きまとう。

映画『ひまわり』は高級な作品ではあるけど、ゴッホのひまわりとはちがう。大量にコピーして全世界どこでも安い料金で涙を流すことができる

「007」も「釣りバカ」も作っている側は「高級作品」以上にたいへんなのだろうが、映画にはハレの映画もあれば、ケの映画もあり、007はケの作品だ。

疲れて何も考える気になれない時にこそ観て救われる作品もあり、007や釣りバカはそういう作品だった。

この先、世間にはなにかと暗いことが多いだろうけど、だからこそ、こころの支えが要る。ぼくにとっては、何も考えないで楽しめる映画というのがそれである。

いまなら自宅で「ボンド作品一挙上映」もやれるので、考えようによってはいい時代になった。

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