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「インターネットは世界を質的に変えた」と思う

いま『全貌ウィキリークス』という本を読んでいるんだけど、いまさらなんでウィキリークス?と言われると答えはない。

しばらく前(1年くらい?)に、ウィキリークスの重要性を再認識されるような出来事があり、おさらいしようと思って本を買ってそのままにしていた。

ただし、それをなぜ今日読み始めたのかというと自分でもよくわからない。

こんな風に買ったまま一度も目を通していないままの本はいくらでもあるし、ベッドのわきに積みあがったままになっている。

しかし、今朝になって、やけにこの本が目に付くのである。それで仕方なく読み始めた。

ウィキリークスという名前だけは誰でも聞いたことがあるだろう。内部告発専用のオンラインプラットフォームである。

政府や企業の極秘文書をだれでも安全に公表できるシステムとして、世界の話題をさらった。

そういうウィキリークスの内幕と、創始者ジュリアン・アサンジの人柄を、密着取材したのがこの本だ。

まだ読みかけだけど、内容はかなり優れている。

アマゾンのレビューもみな好意的で、内容のつまらなさを嘆いているレビューは1つもない。そもそもさわやかなレビューしかない。

「さわやか」という言葉では伝わらないかもしれないが、レビュアーの質が高いのだ。気持ちの悪いレビューが一つもない。頑迷なタイプややたら感情的になる人が一人もいない。

ちなみに、いま外国で戦われている戦争についてのネット投稿は、みたところ視野の狭いタイプと感情的なタイプで95%くらい占められている。そういうレビューが、ここには一つもない。

そもそもウィキリークスに詳しくなってもお金にはならない。創始者アサンジだって私財を投入してやっている。

したがって、「ネットでマネタイズ」とか、「影響力の確保」とか、「SNSで承認欲求」とか、そういう手あかのついた発想にひっかかっているネット民が、この類の本に手を伸ばすことはまずない。

一方で、ウィキリークスの根本に流れているのは革命家の思想なので、保守な読者層からも敬遠されるだろう。

つまり、読者を選ぶのである。ウィキリークスがなにやらわかっていなかった2011年にすぐに関心を抱き、1冊の本を読む労力と時間をかけることができる人たちというのは、それなりの人ばかりだ。

考えが柔らかく、屈託がなく、高度に知的だが頑迷ではない。

ただし「2011年に読んでいれば」の話である。ぼくは2022年に読んでいるので選ばれた人ではない。

ただし、おそまきながら本書を読んでひとつ確信したことがある。

それは、インターネットが世界を根本的に変えてしまったということ。量的にではなく、質的に変えてしまった。

アマゾンも、YouTubeも、仮想通貨も、社会を根本から変えたとは感じなかったけど、ウィキリークスにはそれをかんじる。

なぜかと考えてみるに、アマゾンも、YouTubeも、仮想通貨も、しょせんは経済と金融を変えるものでしかないからだろう。経済や金融はもともとコンピューターと相性がいい。

一方で、ウィキリークスはお金に縁のない反体制運動だ。

内部告発と反体制運動の組み合わせ自体は新しいものでないが、そこに数学とテクノロジーが加わることで質的な変化が生まれている。

本書にも書かれている通り、「秘密が無くなれば維持できない」のが国家というものだ。

今、外国でやっている戦争も国家同士がやっているわけだだから、当然、秘密の上に成り立っている。その前提を根本から変えてしまった。

ウィキリークスでは、政府の極秘文書が、まるで図書館の本のように、だれにでもアクセスできる情報として掲載されてしまう。

このコンセプトは、社会に末永くインパクトを与え続けるだろう。

ウィキリークス的なものが当たり前に受け入れられる未来が来たら、今とはまったく異なる社会が出現しているはずだ。

そういうことに2022年に気づくのではなく、2011年に気づけるようなやわらない頭にぼくもなりたいものだ。

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