エッチは宇宙旅行のようなもの

世の中にはモノに動じない人もいれば、周囲の影響を受けやすい人もいる。

前者は精神が安定しているが、悪くいえばニブい。後者は不安定だが、繊細で臨機応変だ。どちらがいいともいえない。

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ぼくは影響を受けやすいタイプで、たとえば、留学しただけでも人格や考え方が大きく変わる。

それを自覚しているので、留学前にさいごに友だちに会いに行ったときに、こう言って別れた。

「帰国したらまた会いに来るけど、そのときは今のぼくとは別人になっているから、今日が本当のさようならだ」

いささかセンチメンタルだが、事実そうなった。

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でも、ぜんぜんそうならない人もいる。

後輩でぼくより先に留学した女の子は「留学くらいでなにも変わるわけないじゃないですか~」とコロコロ笑ったし、じっさいなんにも変わらなかった。

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なんにでも当てはまる。

宇宙に出て「神を感じて」牧師になってしまった宇宙飛行士もいるが、「なんだ、こんなものか...」で終わる人もいる。

ちがいは、各自の脳内妄想にあると思う。

宇宙に出て神を感じた人は、地球にいるあいだからいろいろと思索を重ねて機が熟していたはずだ。あと一押しで弾ける状態にあったのだ。

宇宙に出たらだれでも目覚めるというような簡単なことではない。

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以上のことはエッチに関して全面的にあてまはる。今日はホントはこのことを書きたかった。人間のエロというのはほとんど妄想である。

エッチは、宇宙旅行のようなものだ。

それで神を感じることのできる人もいることはいるけど、ほとんどの人は「なんだこんなものか」で終わる。

物理的にはじつに他愛ない行為なので、特別な体験にするのはかんたんなことではない。

ぼくの知る限り、性生活が物理的に派手な人ほどあまり妄想しない。(妄想しないから行動できるのだろう。)だから行動が派手なわりに、脳内経験がおどろくほど貧困だ。

かんたんにいうとヤンキーは未成年で子だくさんみたいなことである。

逆に、エロを極めた作家が描く世界は、妄想が先行しすぎて物理現実との接点が失われている。頭でっかちである。『失楽園』の結末はなんだか意味がわからない。

じっさいのエッチを神的にするにはかなりの才能が必要で、これができる人はそうそういない。

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