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下の下には、さらにその下がいる

中谷彰宏さんというと「笑っていいとも!」にも出演していたくらいなので、説明しなくてもたいていの人は知っているだろう。なかなかの美男子で俳優業もやっているそうだが、本業は作家さんである。

もともとは広告代理店でバリバリやっていた人で、作家に転身してからは千冊とは言わないまでも500冊以上は出版しているのではないか。

「広告代理店から作家に転身し、数百冊の本を書いて、テレビの人気番組のレギュラーをこなしつつ俳優もやっていた」ときくとスーパーマンみたいに思えてしまうが、ファンの中にもそう思う人がいるのだろう。

彼の本の中にこういうくだりがあった。いま手元に見つからないのでうろ覚えなんだけど、以前ファンの人に

中谷さんって挫折したことがあるんですか

みたいなことを聞かれて

細かな傷はいっぱいついています

と答えたのだそうだ。このたとえはわかりやすいので心に残っている。

輝いているものは細かな傷だらけ

金属が曇ってくると研磨剤というのを使って磨くでしょう。クリームクレンザーとかああいうやつ。研磨剤とは、鉱物の細かな粉である。

クリームクレンザーも手ざわりはちょっとザラザラしているが、あのざらざらが鉱物の粉であり、つまり、磨くということは表面に細かな傷をいっぱいつけるのと同じことなのだ。ただし、あまりにも細かいので、人間に目にはツルツルに見える。

鏡も同じことで、いま検索してみたのだけど、鏡の表面が曇ってきたら人工ダイヤモンドの粉を含んだ研磨剤で磨いてやるといいと書かれていた。

鏡というとツルツルのようだが、じっさいは人工ダイヤモンドの細かな粒で無数に傷がついているからピカピカに見えている。鏡にかぎらず輝いているものってだいたいそうで、表面に無数の傷がついているから輝いている。

人もたぶん同じで、輝いて見える人は人並外れてたくさんの細かなきずがついているのだろう。だからこそ光って見える。

中谷さんも、ぼくが以前見たサスペンスドラマでは、たいしたセリフもなく開始早々に殺される役だった。「ハンサムで俳優業・・」と言うと聞こえはいいが、こういうことの繰り返しだったのではないか。

また、彼は東大志望だったけど、たしか3浪してあきらめて早稲田に入ったという話も聞いたことがある。つまり、非の打ち所がないように見える人でも、細かな傷はいっぱいついている。

なので、人のことを羨ましがってもしかたがない、という意味でこの話を思い出しのだが、ただし、

ポテンシャルの差

というのはしっかりと把握しておく必要がある。努力は大事だけど、それはあくまでポテンシャルへの上乗せである。

中谷さんが容姿、頭脳などいろんな面でポテンシャルの高いのはまちがいない。こまかな傷がついているといっても、ポテンシャルがあるからこそ、あそこまでやれる。

大谷翔平選手だって細かな傷はいっぱいついているのだろうが、しかし、彼と同じ努力をしたとしても、多くの人類はおなじところに到達できない。

そして、若いうちは自分のポテンシャルを誤解して見当違いの努力をやってみるのも悪くはないが、いい年をしてあいかわらず自分のポテンシャルをわかっていない人がたまにいる。

ポテンシャルが低いこと自体罪ではなく、ぼくだってポテンシャルは低いが、そのことをわきまえつつ、やれる範囲で頑張っている。たいていのオトナはそうである。ところが、いい年をして自分のポテンシャルをまったく把握できない人というのがいるのだ。

「そんな奴いるのか?」と思うだろうが、本当にいる。ぼくだって最近までそんな人種がいるとは思っていなかった。いい年をして自分のポテンシャルをわかっていないということ自体

ものすごーく頭が悪い

ことのしるしなわけだが、そのことに気づいていないから 頭の鋭さをひけらかそうとするので始末に負えない。

「頭が悪すぎるからこそ、頭の良さを誇示しようとする」という地獄の悪循環に陥っている。なんだか愚痴みたいになってしまったが、

世の中、上には上がいる

そして、

下には下がいる

ここまで当たり前だが、しかし、

下の下には、さらにその下がいる

ということである。

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