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スマホを見るたびに思うこと

世間に出ている工業製品は、色とりどりだ。その色にぼくらは消費意欲をそそられるし、わくわくさせられる。

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とはいえ、ぼくがこうしたカラーリングを見てまず感じるのは、ワクワク感よりもシンナーの匂いである。条件反射的に思い出してしまう。

かつて、ぼくは警備員のパートをしていたことがある。深夜に数か所の工場を巡回していたのだが、その一つに塗料工場があった。

そこは、携帯電話の塗料についての特許を持っている会社で、本社受付のショーケースにも多数のガラケーが陳列されていた(2008年ごろのことです)。

ただし、工場全体のシンナー臭さが生半可ではない。最初のうちは一回りしたら気分が悪くなった。もちろん、日夜塗料を製造し続けているのだから、あたりまえといえばあたりまえである。

ちなみに、塗料工場のすぐとなりにはパン工場があり、こちらは甘いにおいを四方にまき散らしていた。近くを通れば息が詰まるほどだ。そして、両工場のあいだには交差点があって、警備車両で信号待ちをするたびに、左から甘いパン、右からシンナーのにおいが押し寄せ、壮絶なことになる。

「臭いには一週間でなれるよ」と先輩から教わったけど、たしかに一週間で気分が悪くなることはなくなった。でも、シンナーに慣れるのはイイことなのか。

働いている人たちは「外国人の労働者が多い」とも聞いた。シンナー臭い工場で何十年も働きながら、本国に仕送りをしていたのだろう。

「綺麗なバラにはとげがある」というけど、色鮮やかなスマホからシンナーの匂いはしてこない。しかし、あの色は自然に生み出されたものではなく、その陰にはシンナー臭い工場で働き続ける人たちがいて、ぼくらのかわりに、シンナーを吸ってくれている。

斉藤幸平氏の『人新世の「資本論」』にも書かれているが、先進国の豊かな生活は、途上国の人々の劣悪な労働環境の上に成り立っている。

しかし、途上国まで行かなくても、国内工場を見て回れば、なんとなく想像はつくのである。それを知れただけでも、警備員をやって良かったと思っている。


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