人はリアルでドラマチックなものを求める

ぼくは、30代後半までは、まったくの世間知らずだった。

その後、世間に出て最初にえた気づきは

「世間は、柔道ではなくプロレスなんだな...」

ということだった。

この気づきはけっこう大きく、いまだにモノの見方の根本になっている。

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柔道は実力の世界だ。

国内大会で優勝し、国際大会でメダルなどをとってしまえば一生安泰である。

強ければ強いほどいい。

不愛想でも、ルックスが微妙でも関係ない。

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一方、プロレスはいくら強くても、チケットが売れない選手はダメである。

「高田は弱いんだよ...」とアントニオ猪木さんがよく言っていた高田延彦選手は、ぼくの一万倍は強いけど、周囲の強い選手に比べたら弱かったのだろう。

しかし彼には色気があった。勝っても負けてもお客さんを沸かせた。

つまらない勝ち方をするくらいなら、色気のある負け方をする方がチケットは売れる。

客が求めているのはリアルな強さではなく、ドラマチックな強さである。

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ちなみに、ぼくの好きな実話怪談も、実話でなければまったく萌えない。

でもガチな実話って、そのままではかなり退屈である。

多少の構成や細工が必要だ。

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世間では、やらせがあると叩かれるし、リアルすぎるとつまらないと言われる。

でも、リアルでかつドラマチックな出来事はふつう「奇跡の瞬間」くらいの確率でしか起こらない。

だから、どこかでおぜん立てしなければならない。

リアルっぽいドラマ
ドラマっぽいリアル

をギリギリの線で作り上げていく。

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「リアルかつドラマチック」というありえないものを求めたがるこの気持ちはいったいどこからくるのだろう?

いまの自分の人生は退屈だけど、いつかドラマチックな展開が起こるかもしれない、という願望のあらわれなのだろうか。

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