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圧倒的な作品『長江』

『長江』(1981)という映画を知っているだろうか。
さだまさし監督、主演のドキュメンタリー作品で、ぼくがいまいちばん見たい映画である。

・・というのが昨日のnoteの書き出しだったんだけど、いま書き直すとこうなる。

ぼくがいまいちばん見たかった映画である。

昨日の「見たい」が今日「見たかった」に変わったということは、すなわち24時間以内に見てしまったということなのであーる。

なかなか見れない幻の作品だったわけだが、なんことはない。丸々YouTubeにアップされていた。これが中国と合作するということの恐ろしさであり、だいご味でもある。

長江の河口から源流付近までさかのぼっていくという雄大な構想にふさわしく、作品自体も豪快にアップされている。

2022年6月18日に投降されているのでついこないだのことだ。昨日の記事を書いていなければ気づかなかっただろう。すでに13万8200回再生されているが、いつ削除されるかわからないので早めに見ておいたほうがいいですよ。

中国からのコメントがいくつか入っておりたとえばこんなのがあった。

向佐田先生致敬,留下了珍貴的歷史紀錄,也有對日本侵華的反思,衷心期望兩國友好,和平永在,人民安樂。

翻訳すると、「さだ先生を尊敬します。これは貴重な歴史的記録であり、日本軍の侵略を非難し、両国の友好と末長い平和と人民の安楽を願う作品です」ということが書いてあるような気がするんだけど、中国語は一切わからないので、あくまでそんな気がするだけである

映画の内容は、そりゃあすごい。

そもそも、市川崑氏が総監修を務めているので、映画的にまちがいのない仕上がりになっている。

そのうえで、さださんは当時2年のロケを敢行して35億円の借金を抱えている。2時間20分にまとめられているが、実際はその100倍の時間カメラを回したのだそうだ。

合作した中国中央
電視台は、このフィルムから全25回のドキュメンタリーを作成して大評判になった。つまり、それだけのものが映っているわけであり、映画は、その氷山の一角の迫力で有無を言わせない。圧倒されるし、だれが見ても、つまらない批評めいたことは言えなくなるだろう。

ところで、この作品が公開された当時ぼくは中学1年生だったわけだけど、もし当時見にいっていたらと仮定すると、自分がどう感じたかなんとなく想像がつく。圧倒されるよりも、

汚ねーな

とおもったことだろう。

当時の中国は、町も人も泥だらけだ。ほぼ全員が「人民服」で、しかも化粧をしている女の人はゼロ。自家用車は1台も走っておらず、よごれた業務用トラックと軍用車のみ。

しかも長江というのは(今回はじめて知ったんだけど)河口から源流までずーっと茶色いのだ。ブルーの清流は1か所もない。泥の河みたいな色が、上海の河口から2400kmさかのぼったところまでずーっとつづいている。

それがまた長江の長江らしさというか、他の河とはちがう迫力でもあり、青い支流を何本も飲み込んで、茶色のままで流れ続けるのである。

周辺には3000年前の遺跡なども建っており、今見れば圧倒されるけど、ただし四万十川みたいにビジュアル的にきれいな川だとは言えない。

そのほとりで、化粧っけゼロの垢じみた人々が人民服で暮らしている映像がずーっと続く。

ところで、中学1年生のぼくが映画館に通っていたのは、日本の小汚い日常を忘れてハリウッドの豪華な世界に没頭するためだった。デカい家にデカいクルマ。デカいテレビに分厚いステーキに金髪の美女。

そんなぼくがもし公開時に見に行っていたとしたら、

汚い映画だなあ。1000円損した。

くらいのおバカな感想を抱いたことだろう。

ところで、当時は月に1回だけ映画館に行くことを許されていたんだけど、『長江』の予告編は3回見た記憶がある。81年の11月公開なので、8月、9月、10月に予告編を見ているはずだ。

そして、予告編を見ると観客は3回とも決まったところでゲラゲラと笑いだしたのである。このシーン。

びみょうに浮いてる

たくさんの人民が無言でカメラを見つめているんだけど、よく見るとそのなかにさだまさしさんもまじっている。そして、観客はなぜか一斉に笑い出すのだ。

彼にすれば、「ああ当たり前に生きたい。ささやかでいいから」という歌詞のまま、ひたすら中国を歩き回り、人民の流れ、長江の流れ、そして大陸的な時間の流れにすっかり溶け込んだ旅の成果を見せるショットだ。笑わせるなんてとんでもない。

それにしても、こういうことを言うのは失礼かもしれないけど、ほれぼれするほど歌うまいっすね~。プロみたい。映画の途中でこの曲がかかるとゾクっとする。

ただし、さださんはプロの歌手ではあってもプロの役者ではない。俳優さんなら一瞬で人の群れに溶け込んでしまうのだろうが、さださんは2年旅しても微妙に浮いている。

観客からすれば、テレビでよく見る「関白宣言のさだまさし」が中国人民みたいな顔でシリアスに突っ立っているのがなんとなくおかしくてつい笑ってしまうのだ。悪いけど。。。

いま見てもやはりなんとなくおかしい。

最後になったけど、ところどころで日中戦争の傷跡に触れる箇所がある。

たとえば当時の日本軍が捕虜として捕まっていた建物が今は牛舎になっている。そのかべに日本語で望郷の思いが切々と書かれている。

それを見てさださんは、「いまから40年前にここで日本軍兵士がこういう思いをしていたんだなあ・・」てなことを思うんだけど、この場面が撮影されたのが1981年で、その40年前というと1941年で真珠湾攻撃の年だ。

そして今年は2022年なので、撮影からちょうと41年目にあたる。

つまり、29歳のさだまさしが40年前の戦争をはるかな思いで振り返ったときからすでに41年が経過した。

当時中学生のぼくにとっても、戦争ははるか昔の出来事だった。。。しかしあの時点で、ひめゆりの塔や原爆投下からはわずか36年しかたっていなかったのであり、そして、中学生のぼくがさださんを笑ってから今日までもう41年になるのだ。

そのあいだ、戦争のないままで「失われた30年」ばかり気にしながら生きてきて、いまだに同じショットで笑っている。これを「平和ボケ」と呼ぶのだろう。

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