カルト映画は「じわじわ感」がだいじ
何度も観たくなる映画には「ジワジワ感」が大事だよなあ・・ということを思ったので書いてみます。
先日も紹介した『孤独なふりした世界で』(2020)という映画をもう1回見ているのだが、2回目を見ようと思ったのは、もちろん気に入ったからである。
僕は気に入った作品を4回も5回も、場合によっては20回も見る癖があり、この映画もその候補に入りそうだったんだけど、途中で飽きてきた。
気に入っていたのは、作品前半の淡々とした部分で、飽きてきたのは後半のドラマである。
冒頭、世界は突如滅びて、主人公の男性は一人取り残されている。しかし、彼はむしろそのことを喜んでおり、図書館を住居にして、街を掃除しながら、たんたんと生きている。
彼は、周囲に人がいなくても楽しく生きていけるタイプであり、ぼくにも共感できる部分があるので、見ていて楽しい。
しかし、後半に入るとナゾの勢力が現れて、いろいろとすったもんだがあるのだが、その手前で
と思って再生をストップしてしまった。
これから主人公は、女性とくっついたり、わかれたり、さらわれたり、助け出したり、人を殺したり、いろいろといそがしくなるのだが、そういうものにハラハラドキドキしたくて2回目を見ているわけではない。
そういうのは1回見てわかっているので、もういいのだ。
カルト映画とは
繰り返し愛好される映画は、ぞくに「カルト映画」と呼ばれるけど、決まったジャンルがあるわけではなくて、結果的に繰り返し見られるようになった作品がカルト映画だ。
チャップリンを繰り返し見る人にとってはチャップリンがカルト映画だし、スターウォーズを100回見た、という人にとってはそれがカルト映画だといえる。
ぼくは『燃えよドラゴン』を10回以上見ているけど、毎回、ブルース・リーが勝つか負けるかハラハラドキドキしながら見ているわけではない。
ブルース・リーは勝つに決まっている
のである。ジャッキーチェンみたいに1回負けて、修行して強くなって帰ってくるドラマを楽しんでいるのではない。ブルース・リーは、物語の冒頭ですでに弟子に向かって
などと説教しているくらいだから、すでに武道家として悟りを開いている。
彼が超人的な強さを発揮して勝つことはその時点で確定しており、そこへ向けてもったいつけながらじわじわと盛り上がっていくのを楽しんでいる。このジワジワ感が何度見ても心地いい。
これは、古代ギリシャ悲劇やシェイクスピアの悲劇などにも通じる点であり、悲劇が起きることは最初からわかっており、そこへむけて少しずつ盛り上がっていく
がファンにとってはたまらんのである。
とはいえ、カルト映画=すぐれた作品ということではないので誤解のないように。ほとんどの人は1回見るだけだから、ハラハラドキドキも大いに結構だ。
ただ『孤独なふりした世界で』は、後半いそがしくなってくるので、カルト映画的なじわじわ感は足りないかなあ・・と思ったということです。
ゾンビ映画はじわじわ来る
ところで、ゾンビ映画ってわりにカルト化しやすいんだけど、あれはゾンビがじわじわしか動けないからではないだろうか。
じわじわしか動かないので、派手などんでん返しは起こらず、じわじわとやられていく。また噛まれてしまえば、いずれはゾンビに変わってしまうのがわかっているので、だんだん具合が悪くなってくるじわじわ感がいいのではないだろうか。
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