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独自の美意識を忘れた日本人は、内向きで元気のないアジア人でしかない

『長江』(1981)という映画を知っているだろうか。

さだまさし監督、主演のドキュメンタリー作品で、ぼくがいまいちばん見たい映画である。

さださんは、これを撮ったせいで35億円の借金を抱えることになり、完済に30年かかったそうだ。

さだまさしというと「年間100回コンサートをやる人」として知られているけど、コンサートをやりまくるようになったそもそものきっかけは、『長江』の借金を返すためだったそうである。

見方を変えば、「さだまさし」というアーティストの育ての親は、『長江』の借金だったともいえるわけで、不思議な因果だ。

さて、その『長江』だが、1年半にわたって中国でロケを敢行し計113万フィートのフィルムを回している(ウィキペディア)。上映時間2時間20分のじつに100倍という膨大な長さだ。

いまの中国にはどこでも簡単にカメラが入るし、資本主義が導入されてからはすべてが変わってしまったといわれるけど、『長江』にはそれ以前の中国が映っているそうだ。中国の失われた風景を記録した貴重なドキュメントである。

公開当時、ぼくは中学1年生だったんだけど、いまにして思えば、なんでこんなすごい作品を映画館で見ておかなかったのだろうと悔やまれる。しかし当時のぼくはハリウッドのホラーやSF映画に夢中のガキだったのだ。

いちどDVDが発売されたらしいが、いまでは入手困難だ。どこかの会社がデジタルリマスターして4K版をリリースしてくれないかなあ。。。などと思って予告編を探し回っているうちに、なんと見つけてしまいました!

中国語字幕付きの『長江』がYouTubeにアップされている!「纪录片《长江》」と書かれているのでなんだかわからなかったけど、「1981.佐田雅志」とあるのでたぶん間違いないだろう。2時間17分の映像だ。やったぜ!いまから見ます(´∀`)。みなさんんもどうぞ。

さて、『長江』に限らず映画(映像)には、時代の空気感が映る。たとえば『男はつらいよ』シリーズには、昭和の空気がばっちり映っている。

『砂の器』(1974)には、温暖化が進む前の日本の涼しげな夏の空気が映っている。

かつてNHKには『新日本紀行』という番組があったんだけど、昭和の日本各地の風景を取材したものだ。これが最近デジタルリマスターされて『よみがえる新日本紀行』として放映されている。あれを見ていると、どれほど多くの貴重なものが失われてしまったのかがわかって、なんとも言えない気分になる。

でも、20世紀には映像があるのでまだマシだ。それ以前の時代の空気は完全に失われ、いまや思い出すことすらできない。

紀元前3000年ごろの古代エジプトの空気感など、想像することすら不可能だ。人類の膨大な営みの大半はすでにあとかたもなく失われてしまった。

ところで、今日、溝口健二監督の『祇園の姉妹』(1936)という作品を見たんだけど、戦前の空気感がばっちり伝わってくる作品だった。

戦前の祇園の風景だけでなく、撮影所の空気感や、大道具やカメラの技や、かつてこの国に存在した独自の美意識なども映りこんでいるが、このすべてが今はない。

日本の風俗や文化は、アメリカナイズされる前と後で大きな断層がある。開放前と開放後の中国くらいの落差があり、同じ国だと思えないほどだ。

現在、高齢者と呼ばれている人たちの記憶している「すごい日本」はしょせんアメリカナイズされた後の日本にすぎないわけで、それ以前の日本を知っている人は、もうほとんどいない。

でも、この映画の中にしっかりと映っているのだ。すごいものである。もちろん過去を懐かしんでいるだけではどうにもならない。、ぼくらは今、未来を向かなければならない。

とはいえ、このレガシーを失った日本人なんて、しょせん内向きで元気のないアジア人でしかなくなってしまうだろいう。メタバースもいいのだが、個人技でたいしたことはやれない。ぼくらはこの情緒や美意識をしっかりと受け継いで、その上で前を向いていかなければ。

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