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最先端っていったい何?

ぼくには子どもはいないが、親戚の子を見ていてちょっと気の毒になることがある。

彼女たちに未来を見せてやれる人がまわりにいない。学校の先生も、おじいちゃんもおばあちゃんも過去ばかり見せている。

おじいちゃんやおばあちゃんが孫に「京都を見せてやりたい」といって連れていくのは、一概に悪いとは言えない。優れた遺産を受け継いでいくのも大事なことだ。しかし今の日本はどちらかというと「遺産をひきずりすぎている」状況にある。

世界はめまぐるしいスピードで動いているが、おじいちゃんやおばあちゃんはそのことを自覚していない。自分たちがはるか後方にとりのこされていることに気づいていない。

自分たちがすばらしいと思うものを孫たちに「ぜひ見せてやりたい」と言うのは、過去という病に罹っているこの国で、その病状を悪化させることにもつながる。

こどもには自分で未来を感じ取っていく力があるので、放っておくのが一番だ。

この点で、じつはぼくも反省させられた。

このnoteではよく昔の映画のことなどを語っているけど、あれは観光好きが京都を見せて回っているのに近いと気づいた。

ヒッチコックがどうした、小津安二郎がどうしたと言うのは、金閣寺がどうした、平等院がどうしたと言っているのと変わらない。

ほんとは「イカゲーム」を話題にしなければならないところだが、興味がないことをやるのはツラい。せめて興味がある範囲でなるべく新しめのところを語ることにしよう。

というわけで、『Nomadland(ノマドランド)』を見たけどとてもよかった。

なにより面白かったのは、登場人物の大半が高齢者であるにもかかわらず、作品そのものがまったく高齢化していないという点。むしろ、あたらしい世界を切り開いている。

日本も同じかもしれない。

「日本すごい番組」を見ること自体は過去を見ることだ。

しかし、「日本すごい番組を見ている高齢者たち」をカメラで追えば、「世界から取り残された超高齢化社会」を描く最先端の物語にもなりうる。

古いか新しいかは問題意識のあり方しだいだ。最先端のTEDトークを見ても古くささを感じることもあるし、「田舎のモチまき」を撮影しても、撮る側の問題意識しだいで新しくも古くもなる。

ぼくも古い映画を語るときには、『ノマドランド』が高齢者を撮るように語りたい。


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