「外野がガタガタうるさい」という言い方がよくされますよね。そしてたいていの人は
って思っているでしょう。
ぼくもこれまで、外野がガタガタうるさいのはみっともないし、よくないことだと思い込んできたんだけど、はたしてホントにそうなんでしょうか。
ブレイキングダウン
ブレイキングダウンという格闘技団体があります。(以下BDと略記します)
素人のケンカ自慢がリングに上がって殴り合いをする団体だそうです。「だそうです」というのはぼく自身は1回も観たことがないからよくわからないのです。興味がないからよくわからないのですね。
ただし、ボクシングを見るのは好きだし、ボクシング界隈でSNSなどに投稿されている意見を見たり読んだりするのも好きなので、そうすると、どうしてもBD関連のうわさが聞こえてきてしまうんです。なんだか知らないけど知っている感じになってしまってます。
元キックボクサーの魔裟斗氏が前々からBDに苦言を呈しているのは知っていましたし、「なるほど」と思って見ていました。魔裟斗さんが言っているのはおおむね
ということです。それに対してBDの主催者である朝倉未来氏が反論していました。魔裟斗氏のことはリスペクトしつつも
というようなことを言っているそうです。ただし朝倉さんは「どっちも共存する方がいいんじゃないか」とも言っているので、彼の意見にも一理あると僕は思います。なお、この件では以下の記事がよくまとまっています。
まあ、そもそもBDを見ていないぼくには、どーでもいいのですが、ただしボクシング日本スーパーライト級の元王者である細川バレンタインさんが、YouTubeで「朝倉未来の意見がおかしい」ということを言っていて、
と思ったのが今日の話のきっかけです。
外野が盛り上がらないと競技が盛り上がらない
最終的には、格闘技ではなく映画の話に持っていきたいのですが、いずれによ細川バレンさんが言っていることの本質は
ということです。野球やらサッカーやらを見てみろと。ああいった競技が盛り上がって選手が潤っているのは、そもそもやったことないくせに
とか
などとごちゃごちゃ抜かすおっさんどもがいるからなんだと。そういう外野の層が厚くなってこそ競技がもりあがるんだと。
それに対して、朝倉さんが言っているのは「外野は黙っていてくれ」ということで、それじゃあ格闘技の世界がもりあがらないと言っていました。
なおバレンさんによれば、格闘技の世界では、なぜか昔から
とかそういうマウントのとり方をする風潮が強くて、それが業界の発展を阻害しているということを言っていて、ぼくも「なるほど」と思ったわけです。
ちなみに、なぜ格闘技の世界でそういう風潮が強いのかはよくわかりませんが、もしかすると他の競技に比べて、痛くてキツい度合いが強いからではないでしょうか。
サッカーも野球もゴルフも、ボールを打ったり蹴ったりしているのは同じなので「他の競技の大変さが想像できない」ということはあまりないと思うのですが、こと格闘技に関した場合、
という風になりやすいのではないかと思います。・・まあ、それはともかくとして、この件でぼくの意見と言うのは特にありません・・・と言いたいんですけど、実はまえまえからこのnoteでもちょこちょこと本音は書いていまして、正直にいうと
なんです。これまでもときどき「ヤンキー苦手」というテーマで書いているのですが、こういうことを書いている時に本当に思っているのは、マイルドヤンキーのことではなくて、じつは魔裟斗さんと同じことなんです。
ストイックなプロ格闘家の世界が、不良のお祭り騒ぎみたいになるのがイヤだなあ、と思っているわけですが、とはいえ、朝倉さんが言うようにそれが時代の流れなのかなとも思っています。
リングの外からの視線が大事
さて、映画に置き換えた場合も同じことが言えます。
素人がタダ同然でアップした動画がバズって大儲けする人が現れる一方で、プロ中のプロの技術や魂が詰まった名作映画がタダみたいな値段でネット配信され、ファスト映画などというクルクルパーな手法で消費されている現状をぼくはこころよく思っていないんですね。
これは魔裟斗さんが格闘技に対して言っていることとほぼ同じなんですが、ただし、
という心のブレーキもあって、これまではあまりそういうことを言わないようにしてきたつもりです。朝倉さんがBDについて外野は黙ってほしいと言っているようなニュアンスで、自主規制してしまっていました。
でも、なんつーか、細川バレンさんの意見を聞いてちょっと考えが変わりました。ちなみにバレンさんは現役時代にトレーナーを二人体制にしていたそうです。
この二人目のリングの外側からの視線が大事なんだと。言い換えれば外野の意見を積極的に取り入れていたわけです。
彼の言うように外野がごちゃごちゃ抜かしてなんぼなのかもしれません。また、これは日本人の良くないところでもあるんですが、「反論=人格批判」みたいに受け取られやすいというのがあります。しかしそこは上手に切り分けて、正面切って議論しあってもりあがるっていうこともいいのではないかと思うようになりました。なので
と。映画を撮ったことはないけど見ることは相当見てきたわけだし、しかも小学生の頃からまあまあな数を見てきた人間として
という風に思いなおしているところなんです。とはいえ、誹謗中傷はNOだと思いますよ。
誹謗中傷はちがう
このあたりの線引きが重要です。
誹謗中傷ってのは、たとえば、映画の出来不出来を問題している時に
といってくるようなことであり、監督の母ちゃんがでべそかどうかは、映画の出来不出来に関してはどーでもいいわけです。そこに焦点を当ててくるような議論というか、いいがかりというか、そういう言い争いが不毛だというのは言うまでもないことです。
ただし、積極的な議論としての批判はどんどんやったほうがいいんじゃないかな、と思うようになりました。
昨年後半に見た映画
というわけで、新年もすでに開けて、少々旬を逸した感があるけど、昨年の後半に見た映画を羅列してみようと思います。
なぜ後半だけで前半がないかと言うと、前半はメモを取っていなかったからです。なお、見た作品は、基本的に全部面白かったのですが、とりわけ印象に残ったものは日付の前に印を入れてみました。
です。なお英語版を見た場合は、邦題を追加しています。それでは見た順に以下列挙します。
2023年のマイ・ベスト作品は、タランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で、次点はフェリーニの『8 1/2』と川島雄三の『風船』でしたが、いずれも評価の高い作品なので意見は割愛します。
なお、最低評価の1つが「名画」と呼ばれる『ひまわり』でした。デ・シーカ監督は言わずと知れた名匠だし、 名優マストロヤンニが主演という意味では『8 1/2』と同じなんですが、連続で見たから余計に差が目立ったのかもしれません。しかし、はっきりいってオールドファンが懐かしがる目的以外では時間の無駄なので見なくていいでしょう。
一方、『8 1/2』は久しぶりに見たけどラストで泣いてしまいました。
別に泣くのが立派だとは思わないけど、登場人物が全員宇宙ロケットから降りてきて、輪になって踊るという、あんなに明るいラストで泣いてしまったのが自分でもびっくりです。本当に力のある作品のすごさに圧倒されたし、この作品はこれから何百年経っても人間を圧倒し続けるのでしょう。
『ファイト・クラブ』について
最後に大事なことを一つだけ。
『ファイト・クラブ』は前々から評価の分かれている作品ですが、久しぶりに見直してみて改めていいなと思いました。ただしネットの評価がまるでダメです。
ホメている人もけなしている人もどちらもイケてません。
ホメている人は主人公の思想をほめていますが、あんなものをまともに受け取ってはいけません。
主人公は、単に会社に行くのがイヤなだけです。会社に行きたくない言い訳で資本主義を非難しているだけです。思想としてまともに受け取ってはいけません。
かれはあまりに会社に行きたくないので、ついに別人格を作ってしまいました。その別人格が「ファイトクラブ」という地下組織ゴッコをやるわけです。
これがうまくいきすぎて、コントロール不能になってアメリカが崩壊しそうになったのであわてて「ゴッコ」を止めようとしたけど間に合わなかった・・
というオモシロ映画なんです。
自分のアゴを撃ちぬいて別人格を殺したところまで良かったんですが、それでも間に合わず、アメリカが崩壊していくところを彼女と手をつないで呆然と見ているラスト
ビルが一個ずつ、順番に倒れていくでしょう?
ここを笑いながら見る映画なんですよ。
一方、批判している人に言いたいことも上記と同じです。
「労働者をバカにしている」とか「暴力を肯定している」とか・・まともに受け取ってはダメです。ブラックコメディなんだから。
単に会社に行きたくないだけでここまで大ごとにしてしまうのが、実にアメリカチックでおもしろいなあという見方をすればいいのです。ひたすら病んでいるアメリカの、アメリカチックで味わい深いいい作品でした。