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どんな世界にも努力が通用する最低限のラインがある

ぼくが小学生のころは、運動会にかけっこという競技があった。6人一組で「よーいどん」ででトラックを駆け、1位から6位まで順位がつく。

ぼくはずーっと3位だった。必死に走っての3位であり、すこし気を抜くと4位以下に転落する。

1~3位は走り終わると、グラウンドの中に勝ち残りする。一方、4~6位はさっさと観客席にもどされる。いまふうに言えば勝ち組と負け組だ。

ぼくはなんとか勝ち組に残りたくて、たいして足が速くもないのに、走路妨害をしたり、フライングスタートしたりして3位にふみとどまっていた。

しかし、かりに1位になったってしょせんは田舎の小学校である。同学年が120人いたから、6分の1の20名は1位になれるわけだ。田舎の小学校で足の速い上から20番目などというのはたかが知れている。

しかし、高校で運動部に入り、レギュラーのポジションをつかみ、インターハイに出たりする連中は、すべて例外なく、各小学校でこの20名の中に入っていたやつらである。ぼくのように小学校のかけっこで3位だった人間には、最初からそういう道はとざされている。不公平だがしかたがない。ちなみに通信簿で体育の評価は、小・中・高とずーっと「3」だった。

ところが、国語の時間になると状況は逆転する。ぼくは「5」から落ちたことはなく、かけっこで1位だったヤツはずーっと「3」である。

小学校の体育で「3」だったヤツが、高校のサッカー部でレギュラーになれないのと同じく、小学校の国語で「3」だったヤツが高校で大学進学コースにすすむ可能性もほぼない。

もちろん、「3」のぼくが野球部に入ってもいいけど、いくら努力しても「5」のヤツにあっさりレギュラーをうばわれることは覚悟しておかなければならない。

いまは、ネットビジネスが流行っているが、一番重要なのは、言語運用能力だ。小学校の国語が「3」だった人がブログを始めていもべつにいいけど、収益化するところまでいくつもりなら、小学校のうちから「5」を得ていなければならない。

よくインフルエンサーの人が、最低、MARCH(明治・青学・立教・中央・法政)クラスの学力が必要だと言っているのは、そういうことだろう。

スポーツで日々の努力がモノを言うのは体育が「5」だった連中であり、おなじくネットビジネスで努力がものをいうのは、国語が「5」だった連中である。

そこから先は、努力と工夫しだいで億万長者も金メダルも夢ではないだろうが、そもそも努力がモノをいうラインまで届いているかどうかは、生まれながらに決まっている。

もしぼくが石器時代に生まれていたなら、えものもとれないし、ケンカにもまけるし、言語などたいした役には立たなかったはずだ。

また、いまでも貧困国に生まれれば、徹夜で肉体労働をしてもこわれない丈夫なカラダを持っていることが、はい上がっていくための第一条件かもしれない。

また、この先、現代文明が崩壊して弱肉強食の時代がおとずれれば、やはりモノを言うのは身体能力だ。いまはたまたま、言語能力が重宝される時代であり、そのために得をしている人と損をしている人がいるが、そういうものだと思ってあきらめるしかない。

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