「歴史的瞬間を共有したい気持ち」はどういう心の作用なのだろう

「歴史的瞬間を共有したい気持ち」というのはどういう心の作用によるものなのだろう。

「JFKが暗殺された時あなたはどこで何をしていたか?」というのが一昔前のアメリカ人のあいだでは定番の会話だったそうだ。僕が見たあるドキュメンタリー映画にも「私はその日精神病院に放り込まれたところでTVニュースが流れてきた」と語る女性が登場する。

ちなみにある米国人大学教授に聞いた話では、最近は「チャレンジャーが爆発したときあなたはどこで何をしていたか?」に変わったそうだ(2000年秋現在)。彼自身はそのときオランダの書店にいたと言っていた。

しかしこの問いはまもなく「WTCビルが倒れたときあなたはどこで何をしていたか?」に取って代わられたように思う。僕は朝、大学の寮で目覚めてテレビをつけたところだった。

と、ここまで書いて思ったんだけど、歴史的な惨事の知らせに接した瞬間、人は大なり小なりショックを受ける。だからその瞬間に自分が何をしていたかもスナップショットにように記憶に刻み付けられる。一週間前のお昼に何をしていたかと言われてもとっさに思い出せないけど、神戸の震災や東日本大震災で足元が揺れた瞬間に自分がどうしていたかははっきり覚えている。

つまり思い出しやすい。

1945年8月に広島の方で巨大なきのこ雲が上がったときのことは、ばあちゃんから何度も聞いた。貴重な話だが、自動車事故の目撃者がその瞬間の様子を語るのちょっと似ている。あるいは大手術を経験した人がその体験を語るのともちょっと似ている。酷な言い方かもしれないが若干、武勇伝の要素が混じる。

日航123便に乗り遅れた人や、サリン事件当日にたまたま一本違う電車に乗った人もその体験を大いに語れるだろう。しかし当事者はそんな風には語れない。

南方戦線や中国戦線から生還した旧日本軍兵士も、あまり当時のことを語りたがらないようだ。

僕自身も、母が亡くなったときに自分がどこにいて何をしていてどういう行動に出たかを鮮明に覚えているが、誰にも語ったことはないし、今後も語ることはないと思う。

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