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真実ってきれいな水みたいなもの

空気も大事だし、日光も大事だが、水も大事だ。地球以外の惑星にも日光はふりそそぐが、水はない。水の痕跡があるとわかると科学者は色めき立つわけで、それくらい水というのはほんとうに貴重なもので、地球の恵みだと思える。

きれいな水とはこんなもの

さて、きれいな水というのはどういうものなのだろう。ぼくにとってのきれいな水の代表は、

谷川岳の6年水

である。群馬県の谷川岳といえばむかしは登山者が数々遭難したところとして有名で、稲川淳二さんの怪談にもなっているが、そういう山に降った雪が解けて地層に浸透して6年かけてろ過され、やがて山奥の水源からきれいな水になって流れ出す。

関越自動車道の「谷川岳パーキングエリア」というところにいくと、そういう水が駐車場わきの水道から24時間365日わきでており、無料で汲むことができる。

きれいな水

この写真は群馬のお出かけスポットを紹介するこのサイトからいただきました。ありがとうございます。

ここをとおるドライバーたちは大きなポリタンクを用意して次つぎに水を汲んでいくが、ぼくもここをとおるときは、1.5Lのペットボトル20本分くらいせっせと汲んで帰っているのである。

とはいえ、いくら汲んでもたかだか20本だ。ここの水だけで24時間365日生活できるわけではなくて、ふだんは埼玉県の水道水を使って生活している。谷川岳の6年水は、ごくたまにのむ「ごちそう」みたいなものにすぎない。

人間のからだの6割は水で出来上がっているそうだ。だとすれば、その6割の水も1種類の水というわけではなく、谷川の水もあれば、水道水も含まれ、ペットボトルのミネラルウォーターやら、いろんな水があわさってできあがっている。

「清濁併せ呑む」ということばがあるけど、体の中には濁った水も流れ込んできてはいるが、いくぶんかは谷川のきれいな水もまじっているはずで、そして、ふだん埼玉県の水道水を大量にのんでいるからといって、ごくたまに谷川岳の水をのむことが無駄であるとも思えない。

1度味わっておくとほんとうにきれいな水がどういう味わいなのかがわかるし、さいきんは水道水もずいぶんおいしくなってはきたけれど、それでも山の中を6年かけてろ過された水とはぜんぜんちがうということはわかるようになる。

本物の情報というのは、ぼくにとっては谷川岳の6年水のようなものであり、毎日飲むことはできないけれど、博物館に飾られているようなものでもない。雪深いPAで毎日ダダ洩れになっており、下水溝から川に流れ込んでやがて濁流になって平野部に流れていく。

マズい水とはこんなもの

本物の情報はきれいな水のようなものであり、濁った情報とまじりあって、世間を流れている。

たとえばゼレンスキーがタイム誌の「今年の人」に選ばれたのだそうだが、たまにきれいな情報を汲んでいれば、このニュースがマズい水だといこうことも直感的にわかる。

べつに水道水を拒否する必要もないように、タイム誌に抗議をする必要もないけど、ただし「このニュースは汚れた水なのではないか?」くらいの疑問を持っておくことは害にはならない。

逆に、あのニュースに祝福の言葉を添えてリツイートするのは、下水の流れを「アルプスの天然水はおいしいですね」と称えるのとほぼ同じで、そういうおろかなことを避けるためにも、きれいな水を一口のんでおくのはおすすめだ。

みんながほんのちょっとずつ、そうやって意識していれば多くのおろかなことを防げるし、善意で舗装された地獄への道を歩まなくても済むかもしれない。

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